短いので全文引用
「私は正しい」という心から、怒りも嫉妬も、落ち込みも傲慢も、舞い上がりも、あらゆる感情が生まれてきます。
その心が、いろいろな問題を作るのです。
「私は正しい」というのは客観的に成り立たないことなのです。それはわがままな恐ろしい思考です。
しかしみんな、「私が正しい」病に感染しているのです。
バリバリの私見です。
「私は正しい」ということは、私の思考(アイデア)が正しいと思っているのですね。
で、例えば、他人から、「あなた(の考え)は正しくない」とか、「この考え(アイデア)のほうがよい」と指摘されたとしましょう。
で、腹が立ったら、自分の思考に執着している証拠かもしれません。
その逆もあります。
「あなたの考えは素晴らしい」とか、賞賛されたら、嬉しくはなるのですが、「やっぱりオレは正しいんだ」」と、舞い上がって自分を見失ったら、ヤバイです。
舞い上がりも自分の考えに執着している証拠かもしれませんね。
と、ここまで書いたら、人間が遭う8つの世の法則についての話を思い出しました、シャバでは必ず会うと思います。
遭っても、落ち込まず、暗くならず、怒らず、はしゃがず、舞い上がらずです。
下記です。
で、理性的に
「あっ、その考えもいいね」とか、「ご指摘ありがとう、嬉しいです、自分の糧にします」とか、だったら、自分の考え(アイデア)に執着してない証拠かもしれませんね。
私も含め、多くの人々は「自分が正しい病」にすぐ感染します。
原因は自分の考えに執着するためですね。
なんで執着するんでしょうか。
執着を手放すこと、離れることが仏教ではかなり大事です、すみません、うまく説明できません、下記リンクを
執着はうまく説明できませんでしたが、「自分が正しい」から少しでも離れるためのヒントがありました。
やっぱり下記の本
引用
193 不完全であると認めると楽
人間が不完全であると認めないことは病気です。自分が不完全だとわかり、人生も不完全だとわかると、ものすごく楽です。しゃべることでも、別に不完全だから仕方ないでしょう、と思えれば、ああ、あんなこと言ってまずいかなあとか、気をもむ必要はありません。「いいんじゃないですか、それで」と気楽にいられます。
中略
不完全を認めない人は、人が自分のことを批判すると、ずーっと硬くなっちゃって、落ち込んでプライドが傷ついて大変なのです。
中略
不完全だからこそ学ぶ余地があるのです。だから、「わからないことは多い、知らないことは多い。何をやってもうまくいかないことが多い」ということを、ポジティブに「そんなの当たり前だ」と思える。それが普通であると観えたところで、ポジティブに成長できるのです。
ここまで書いて、2点まとめてみます。
1
思考に執着するくらいなら、人格向上の道に近づいたほうがいいですね。
2
「観えたところ」
執着にかき回されるくらいなら、ちょっと観察してみたらどうですか?
さて、この2点で、私は執着ウイルスの感染から離れることができるでしょうか?
いつも感染してるので、感染してる自分に気づけば、少しは儲けもんかもしれません。
人格向上の儲け話のネタ帳です(金銭の儲けではありません)