ジャータカのよもやま話

テーラワーダの在家仏教徒 身の回りのことを地味に書いてます。

「私は正しい」が問題をつくる 『ブッダの教え一日一話』

短いので全文引用

「私は正しい」という心から、怒りも嫉妬も、落ち込みも傲慢も、舞い上がりも、あらゆる感情が生まれてきます。

その心が、いろいろな問題を作るのです。

「私は正しい」というのは客観的に成り立たないことなのです。それはわがままな恐ろしい思考です。

しかしみんな、「私が正しい」病に感染しているのです。

 

バリバリの私見です。

 

「私は正しい」ということは、私の思考(アイデア)が正しいと思っているのですね。

 

で、例えば、他人から、「あなた(の考え)は正しくない」とか、「この考え(アイデア)のほうがよい」と指摘されたとしましょう。

 

で、腹が立ったら、自分の思考に執着している証拠かもしれません。

 

その逆もあります。

「あなたの考えは素晴らしい」とか、賞賛されたら、嬉しくはなるのですが、「やっぱりオレは正しいんだ」」と、舞い上がって自分を見失ったら、ヤバイです。

舞い上がりも自分の考えに執着している証拠かもしれませんね。

 

 

と、ここまで書いたら、人間が遭う8つの世の法則についての話を思い出しました、シャバでは必ず会うと思います。

 

遭っても、落ち込まず、暗くならず、怒らず、はしゃがず、舞い上がらずです。

下記です。

j-theravada.net

 

で、理性的に

「あっ、その考えもいいね」とか、「ご指摘ありがとう、嬉しいです、自分の糧にします」とか、だったら、自分の考え(アイデア)に執着してない証拠かもしれませんね。

 

 

私も含め、多くの人々は「自分が正しい病」にすぐ感染します。

原因は自分の考えに執着するためですね。

なんで執着するんでしょうか。

 

執着を手放すこと、離れることが仏教ではかなり大事です、すみません、うまく説明できません、下記リンクを

j-theravada.net

 

 

執着はうまく説明できませんでしたが、「自分が正しい」から少しでも離れるためのヒントがありました。

やっぱり下記の本

 

一瞬で心を磨くブッダの教え

一瞬で心を磨くブッダの教え

 

 

引用

193 不完全であると認めると楽

人間が不完全であると認めないことは病気です。自分が不完全だとわかり、人生も不完全だとわかると、ものすごく楽です。しゃべることでも、別に不完全だから仕方ないでしょう、と思えれば、ああ、あんなこと言ってまずいかなあとか、気をもむ必要はありません。「いいんじゃないですか、それで」と気楽にいられます。

中略

不完全を認めない人は、人が自分のことを批判すると、ずーっと硬くなっちゃって、落ち込んでプライドが傷ついて大変なのです。

中略

不完全だからこそ学ぶ余地があるのです。だから、「わからないことは多い、知らないことは多い。何をやってもうまくいかないことが多い」ということを、ポジティブに「そんなの当たり前だ」と思える。それが普通であると観えたところで、ポジティブに成長できるのです。

 

ここまで書いて、2点まとめてみます。

 

思考に執着するくらいなら、人格向上の道に近づいたほうがいいですね。

 

「観えたところ」

執着にかき回されるくらいなら、ちょっと観察してみたらどうですか?

 

さて、この2点で、私は執着ウイルスの感染から離れることができるでしょうか?

いつも感染してるので、感染してる自分に気づけば、少しは儲けもんかもしれません。

 

 

人格向上の儲け話のネタ帳です(金銭の儲けではありません)