ジャータカのよもやま話

テーラワーダの在家仏教徒 身の回りのことを地味に書いてます。

意見の対立は争いの根源 『ブッダの教え一日一話』

引用

議論とは複数の意見を戦わすことです。

激しく議論をして、やっと結論に達したとします。しかし、その結論もまた、「ひとつの意見」にすぎないのです。古い考えが捨てられて、頭の中に新たな考えがあらわれるだけのことです。

 私見です。

「自分が正しい、相手が間違っている」とか

「相手の意見をつぶそう」とか

「自分に有利に」とか

 

貪瞋痴に覆われた議論は、結局、争いの元になるんでしょうね。

争いは不毛ですね。

 

日常生活で、なにかしらの集団に所属する場合、お互いの意見を言う、という場面が必ずあると思います。

 

本当は意見は戦わすものではありませんね。

 

みんなで意見を表明して、良い意見を選択すればいいだけの話です。

 

選択の場 なんですよ。

 

でも、感情を伴う「争い」っぽくなってるんですよね。

 

争いっぽい場でも、私は証拠、根拠をもって意見を言って、優れた意見には、素直に賛同します。

 

集団で力がある人の貪瞋痴に塗れた意見が通る場合もあります、意見というか、それは命令ですね、それはそれで仕方ないです、なにかしらの結果を出すだけですから、それよりも自分自身が貪瞋痴に塗れないようにするのが大事ではないでしょうか。

 

貪瞋痴にまみれた議論には巻き込まれないよう注意です。

貪瞋痴には加担しない、ということで。