全文引用
ひとつの問題が、別の問題に対して、「それは問題だ」とは言えないのです。
そもそも私たちは、問題という海に浮かんでいるようなものです。
問題のあるなしとは関係なく、「自分がいる」ということが、ほんとうの問題なのです。
私見です。
昨日は、問題に備えて備蓄する、という話をしました。
でも、下手すると、「ためこみ」で、問題がまた問題を生むかも、です。
で、今日は、日常生活によくある問題ではなくて、「自分」という問題です。
先生は「自分がいる」ということ自体が本当の問題だとおっしゃいます。
なんだか答えが検討もつかない禅問答みたいです。
もともと問題がある「自分」が問題を起こすわけだから、けっこう根本的な話です。
で、キーワードは「自分」ですね。
下記の本を連想しました。
もう絶版になってますね、でもキンドルで読めます。
持ってないのに気づき、さきほど中古本を注文しました。
で、次は下記の本です、これは持ってました。
バリバリの私見解釈です。
「自分」イコール「自我」ですね。
お釈迦様はあっさりと「我は無い」「一切は無我である」とおしゃってます。
でも、最近の人類の歴史は、「自分」とか「私」とか「自我」とか「魂」とか、「自分」というものがあるという文化で育ってきてるので、お釈迦様の「我は無い」というお話はいきなり理解できないし、すごく理解に困難さを覚えます。
むしろ、死ぬまで理解できないんじゃないか、と思うくらい。
『無我の見方』は先生がお釈迦様の「無我論」を説いたものですけど、本のまえがきに、ヒントになる話があります。
引用
「無我」を生きるとは、自分を大事にして、自分を基準として、自分自身を頼りに、自分の意思で生きることにほかなりません。お釈迦様はそれを「自灯明」という言葉で表現されています。
自分のことを一番心配するのは自分でしょう。悪いことをしたら苦しむのも自分でしょう。他人も苦しむかもしれませんが、先に苦しむのは自分です。悩みも苦しみも自分が感じるもので、幸福も自分が感じるものです。判断基準は自分以外にはなく、自分を頼りに生きていくしかありません、ですから、お釈迦様がおっしゃる無我とは、「正しく自分を理解すること」でもあるのです。
これ以上、詳しく書けそうにないです。
さて、この土日は、この『無我の見方』を読みましょうか。
「私」「自分」「自我」「魂」について考えるきっかけになる本です。