全文引用
世の中は問題だらけでどうしようもないのです。問題以外、何も存在しません。
しかし、私たちは、問題に関係なく、「自分がいる」と錯覚しています。
「自分がいる」という幻覚が、現実に対して攻撃しても、現実は変わりません。
「私」」という幻覚を破るのが先決です。
私見です。
日常生活では、「自分がいる」という問題を放っておいたまま、まずは身近な問題に接しています。
自分の・・・
自分が・・・
自分さえ・・・
自分が主語の自己中状態ですね。
(私の言う自己中は自己中心的ではなくて自己中毒って意味です。)
主観に満ちた自己中の状態で、日常の問題に接しても結果が悪そうです。
というわけで、自己の錯覚、幻覚を破らなければ先に進めないということです。
で、私自身、「自己の錯覚を破る」なんて出来そうな気がしません。
死ぬ寸前までにできればいいですけど、いまだに自覚がありません。
でも、できそうにもない、かなり困難なことを具体的に教えているのが仏教です。
「自分が幸せになるために祈りなさい」なんて言いません。
自分自身が困難なときに「信仰しなさい、祈りなさい、この文言を唱えなさい」という宗教があったらかなり怪しいと思って下さい、だってエビデンス(根拠、証拠)がありませんから・・。
で、仏教は自己の錯覚を破る方法を懇切丁寧に具体的に述べてます。
下記リンク
変な例えで恐縮です。
自我という化け物はヴィッパサナーが大嫌いみたいです。
自我という化け物に取りつかれた私もヴィッパサナーはあまり好きではありません。
でも、この道しかないのですね。
好きではないですが、観察の大切さはわかります。
仏教を学ぶからにはせめて下記のレベルを目標にしたいです。
上記リンクより引用
すべてがもっともっときめ細やかにきれいに見えてくるものなのです。自分をも現象そのものとして観ることが出来るのです。
自己という錯覚を破ってますね。
自己中の話が続きます