ジャータカのよもやま話

テーラワーダの在家仏教徒 身の回りのことを地味に書いてます。

ありのままの事実で争いは消える 『ブッダの教え一日一話』

引用

すべての生命は自分の見方を持っています。だから、無数の知識があらわれてくるのです。すべてが、「自分にはどのように見えたか」」ということでしかないのです。

それでは、真理に達することはできません。

 

私見です。

 

サラっと書いてますが、「とっとと、覚りの段階へ行かないとありのままの認識はできませんよ」と、今の自分にはとてつもなく難しいことをおしゃっているように感じます。

 

覚りの自覚がないので、今の自分にできることは・・・・。

 

日常生活でやることなすことに自分の主観が混ざってます、たぶんうまくいかないことが多いでしょう。

 

でも、実際には、「自分の考えたことはうまくいかない」なんて思わないのですね、「自分の考えが一番だ」と思っていて、けっこう固執して、通らないと面白くないと、思ったりする。

 

もともと、自我の幻覚や錯覚を破れない自分が考えることや、やることは主観に塗れてますよね、その主観に塗れたことを「自分が正しい」と思って後生大事に持っていて手放そうとしない、うむ、トラブルは目に見えてますね。

 

だから覚りの無い自分には

 

「私はこう思います、でもこういう考えもあるし、もっといい考えがあったら、そっちに乗りますよ」

 

(もっと状況が良くなるなら)自分の主観に塗れた考え(アイデア)はいつでも手離せます、という姿勢が大事ではないかと、思います。

 

 

そうしたら「争い」も防げるのではないでしょうか。

 

 

昨日は「観察」の練習の大事さ、でしたが、今日は「手放す」ことも大事かな、と思った次第です。

 

 

いつのまにか「手放す話」になりました。