ジャータカのよもやま話

テーラワーダの在家仏教徒 身の回りのことを地味に書いてます。

終着点はどこか 『ブッダの教え一日一話』

短いので全文引用

人間は不完全なのです。

不完全だから、少しずつ進歩していかなければいけません。

その進歩というものは、いつやめるのでしょうか。

終着点があるとしたなら、「これ以上は進歩というものが成り立たない」と発見した時点です。

 

バリバリの私見です。

 

『ブッダの教え一日一話』は、テーラワーダ仏教徒以外の一般の方が読むことも想定されているので、「終着点」の話は、あまり突っ込んで書いていません。

 

だから「終着点というものがあるかもしれない」とおしゃってます。

それと「進歩」という言葉も使っています。

 

仏教徒の終着点は「覚り」です。

 

でも、一般の方には「覚り」はわかりにくい話かもしれません。

 

で、一般の方にもわかるように「覚りとはなんぞや」という話です。

www.dananet.jp

 

上記より引用

生命というものは、いつもなにかをさがしています。いつもどこかへ向かって走っているのです。なにもしないでいると苦しいのです。不安でたまらないので、とにかくなにかをしようと動いています。そして、それはわたしたちの人生も同じです。苦しみから逃れるために、なんの役にも立たないことを、いろいろとやっているにすぎないのです。

 

この不安の消えた状態が「覚り」なのですけど・・・。

 

読んでみると、生きるということは進歩もへったくりも無いということですね。

 

走り回って役に立たないことばかりやっている、ということです。

 

で、また、この状態が好きなんでしょうね。

 

覚れるわけないわ・・・、です。

 

 

で、ここで話を終わらすわけにはいかないので。

 

先生の法話に、「終着点にたどり着くことができないのはなぜ?」という意味の法話があります。

 

ズバリ、下記ですね。

j-theravada.net

 

 

お釈迦様は懇切丁寧に、具体的に、覚りに達する話をしているのに、私も含めいろいろな皆さまは、仏教の実践は嫌がるし、覚りに達する方は稀でしょう。

 

なぜ?

 

その「なぜ?」に答える法話です。

 

 

法話では

 

仏教に問題はなさそうだし。

 

原因は「怠け」だとおしゃってます。

 

怠けのポイント引用です。

今回のポイント

  • 努力しても成功に達する人は少ない。
  • 修行しても悟りに達する人はまれである。
  • 成功に達しない理由は怠けである。
  • がむしゃらに闇雲に頑張ることも怠けです。
  • 怠けはとても危険な病です。

 

 

がむしゃらに闇雲に頑張る、という部分が気になります。

 

これって理性が飛んでて、なんだか感情的に行動しているニュアンスがあります。

貪瞋痴が混ざっているような感じがします。

貪瞋痴が混ざってる状態って「怠け」なんでしょうね。

 

 

で、「怠けはとても危険な病です」とあります。

法話にもありますが、「怠け」は本能からくるので、油断してると、アッというまに心が覆われてしまうし、がむしゃらにやったところで、狡猾な怠けが修行の皮をかぶって邪魔をして、結果が出ず「ごくろうさん」で終わることもあるかもしれません。

 

 

 

お釈迦様は、7年間もしくは一週間で覚ることができるとおしゃってます。

でも、出来ずに本能が勝利するのですね。

 

 

終着点にたどり着くには。

 

理性と落ち着きで、役にも立たないことから離れる、ということでしょうか・・。

自然と結果が出ればいいのですが・・・。