ジャータカのよもやま話

テーラワーダの在家仏教徒 身の回りのことを地味に書いてます。

自分の過ちを認めているか 『ブッダの教え一日一話』

引用

不完全な私たちは、どうがんばってもどこかで失敗してしまうのです。

大事なのは、自分が過ちを犯したことを認めることです。「あやまちを犯しました、たいへんすみませんでした」と、ちゃんと認める人は、同じ過ちは二度とくり返しません。

 

 私見と脱線です。

 

下記の本を連想しました。 

仏教百話 (ちくま文庫)

仏教百話 (ちくま文庫)

  • 作者:増谷 文雄
  • 発売日: 1985/12/01
  • メディア: 文庫
 

 

 

94ページの話です。

 

悪いことをした比丘が、それは悪かったということで、平謝りに謝っているのに、相手の比丘は、際限もなく大声でののしり、罪を責めてやまない、という話です。

 

それを聞いたお釈迦様が

「比丘たちよ、罪を犯して、罪を認めない者はいけない。また罪を謝するのに、それを受け入れない者もいけない。その二つの者は、ともに愚かなる者とされる。

比丘たちよ、それに反して、罪を犯して、罪を罪と認める者はよい、また、罪を謝するに、それを素直に受け入れる者はよい。その二つの者はともに賢き者とよばれる」

 

 

日常生活で、自分がミスや間違いをして、で、相手がいて、実際に迷惑をかけたなら謝るしかないのですね。

 

謝らずに、意地を張るなり、逃げ回っても、それは追いかけてくるし、なんだか悪い結果を呼びそうです、で、自分の心にも悪そうです、当然、相手の心にも悪そうです、悪いことがずっと続きそうです。

 

仏教徒は、心に悪いことは避けるべきなので、やっぱり謝るしかないのですね。

 

で、次は「許す」です。

 

謝られたら許すしかないのですね。

許さずに、意地を張るなり、際限なく責めるのは、なんだか悪い結果を呼びそうです、で、自分の心にも悪そうです、当然、相手の心にも悪そうです、悪いことがずっと続きそうです。

 

仏教徒は、心に悪いことは避けるべきなので、やっぱり許すしかないのですね。

 

 

 

で、謝ったところで、許す、許さないは相手が決めることなので、もしかしたら解決には至らないかもしれませんが、でも、自分の心に悪いことするのは、離れましょう、です。

 

で、逆に謝罪を受けたら後腐れなく一発で許してあげて、気持ちよく日常生活に戻ることが大事かも。

 

 

下記法話

j-theravada.net

 

 

上記法話のポイントを引用します。

今回のポイント

  • 怒らないということは、他人の間違い・欠点を理解し、許す気持ちを持つことです。
  • 世直しよりは自分直しが肝心です。
  • いかなる場合でも怒る人は愚か者で敗者です。

 

で、今回のテーマに合わせ、ポイントの文章をちょっと変えてみました。(先生、すみません)

 

 

怒らないということは、他人の間違い・欠点を理解し、許す気持ちを持つことです。

 

怒らないということは、自分の間違い・欠点を理解し、過ちを認める気持ちを持つことです。

 

 

 

 

増谷先生の優しい語り口がとてもいいです。

よい本です。

 

仏教百話 (ちくま文庫)

仏教百話 (ちくま文庫)

  • 作者:増谷 文雄
  • 発売日: 1985/12/01
  • メディア: 文庫