引用
不完全な私たちは、どうがんばってもどこかで失敗してしまうのです。
大事なのは、自分が過ちを犯したことを認めることです。「あやまちを犯しました、たいへんすみませんでした」と、ちゃんと認める人は、同じ過ちは二度とくり返しません。
私見と脱線です。
下記の本を連想しました。
94ページの話です。
悪いことをした比丘が、それは悪かったということで、平謝りに謝っているのに、相手の比丘は、際限もなく大声でののしり、罪を責めてやまない、という話です。
それを聞いたお釈迦様が
「比丘たちよ、罪を犯して、罪を認めない者はいけない。また罪を謝するのに、それを受け入れない者もいけない。その二つの者は、ともに愚かなる者とされる。
比丘たちよ、それに反して、罪を犯して、罪を罪と認める者はよい、また、罪を謝するに、それを素直に受け入れる者はよい。その二つの者はともに賢き者とよばれる」
日常生活で、自分がミスや間違いをして、で、相手がいて、実際に迷惑をかけたなら謝るしかないのですね。
謝らずに、意地を張るなり、逃げ回っても、それは追いかけてくるし、なんだか悪い結果を呼びそうです、で、自分の心にも悪そうです、当然、相手の心にも悪そうです、悪いことがずっと続きそうです。
仏教徒は、心に悪いことは避けるべきなので、やっぱり謝るしかないのですね。
で、次は「許す」です。
謝られたら許すしかないのですね。
許さずに、意地を張るなり、際限なく責めるのは、なんだか悪い結果を呼びそうです、で、自分の心にも悪そうです、当然、相手の心にも悪そうです、悪いことがずっと続きそうです。
仏教徒は、心に悪いことは避けるべきなので、やっぱり許すしかないのですね。
で、謝ったところで、許す、許さないは相手が決めることなので、もしかしたら解決には至らないかもしれませんが、でも、自分の心に悪いことするのは、離れましょう、です。
で、逆に謝罪を受けたら後腐れなく一発で許してあげて、気持ちよく日常生活に戻ることが大事かも。
下記法話
上記法話のポイントを引用します。
今回のポイント
- 怒らないということは、他人の間違い・欠点を理解し、許す気持ちを持つことです。
- 世直しよりは自分直しが肝心です。
- いかなる場合でも怒る人は愚か者で敗者です。
で、今回のテーマに合わせ、ポイントの文章をちょっと変えてみました。(先生、すみません)
怒らないということは、他人の間違い・欠点を理解し、許す気持ちを持つことです。
怒らないということは、自分の間違い・欠点を理解し、過ちを認める気持ちを持つことです。
増谷先生の優しい語り口がとてもいいです。
よい本です。