引用
人間というのは、本来は怠け者です。
「金はほしいが仕事はしたくない」と言う人がいます。仕事を頼まれると嬉しいのですが、やがて苦しくなるのです。それは怠け心のためです。
楽しく生きたいのだったら、怠け心を絶つしかないのです。
怠け心を絶った瞬間から、人生はとても楽しくなります。
私見です。
日常生活で、「あー、めんどくさい」とか、「これやりたくない」とか、「明日があるさ、明日やろう」とか、私自身、わかりやすい「怠け」に襲われます。
でも、怠けって、わかりやすいやつは、まだかわいいかもしれません。
もっと狡猾で、複雑で、タチが悪いのもあります。
狡猾な怠けにやられると自覚症状がないんですね。
私自身、「わかりやすい怠け」、「狡猾な怠け」、ダブルでやられているかもしれません。
心をだますタチの悪い怠けの話です。
上記はお坊様の勉強の話ですけど、日常生活で、仕事とか、人間関係とか、家庭とか、頑張っているのに結果が無茶苦茶だったら、ヤバイということです。
で、ご本人は、怠けの自覚がなく「こんなに頑張っているのに、どうして・・・」なんて思っていたりする。
先生ご指摘の通り、それって「怠け」なんですよね。
怠けてるんですけど、巧妙にだまされてその自覚がない。
ヤバイヤバイです。
怠けから離れるヒントの法話です。
ちょっと気になる部分を引用します。
自分に対していい結果を出せるようになれば、自分が幸福になれるわけです。ですからいい結果を出せるように考えて行動すべきだということなのです。頑張っているのに幸福になれないのはなぜかというと、先月お話した「怠け」= ālasiyam(アーラシアン)のせいだということに気付かなければなりません。
あと、アーラシアンとヴィリアンのお話
「自分の心には、生まれつき大変な毒のような『怠け』というものがついている。育てなくてもあるもので、アーラシアンというビールスが入っているのだ。それに、自分でヴィリアンという薬を飲ませてあげなければならない」
怠けは生まれつきあるし、でも自分にとっての結果の話なんですね。
私自身、落ち着きがなくせっかちなので、ここにタチの悪い「怠け」が、いつもつけ入るんでしょうね。
で、自分にとっての結果が悪かったら、それは他人のせいではなく、自分の「怠け」なのでしょうね。
理性を持って落ち着くことで、怠けを自覚し、離れたいですね。
「怠けは本来持ってるものですけど、複雑で、本人は持っている自覚さえないかも」と教えてくれる本です。