ジャータカのよもやま話

テーラワーダの在家仏教徒 身の回りのことを地味に書いてます。

コンパクトに言うには 『ブッダの教え一日一話』

引用

上司に報告するときには、なるべくコンパクトに言うことです。

えんえんとまわりくどい話をされると、聞かされるほうはイライラします。よけいな時間が取られると思って、嫌がられます。

主観を抑えて客観的に、「この問題はどうしましょうか」とコンパクトに言えば、相手も判断しやすいのです。

 

これ、バリバリの日常生活(主に仕事)に関する私見になりますね。

 

まあ、私も会社員なので・・・

 

会社は組織なので、一人一人に役割があります。

 

で、まずは役割と管轄をきちんと確認しないとですね。

 

で、自分の管轄外、要するに上司の判断を仰がなければならない案件が出たとします。

 

 

で、当たり前の手順は

 

まずは結論を言って

 

その問題解決のための、自分なりに考えた選択肢を添えて

 

上司に選ぶか、判断してもらうことになります。

 

それで終了。

 

で、自分の管轄内であっても、進行に不安があったら確認の相談です。

 

普通、仕事だったら、これで終わります。

 

 

ただ、上司にも意地悪な人がいるかもしれません。

 

で、昨日の法話、再度、紹介します。

j-theravada.net

 

気になる部分を引用します。

「頑張る」とはどういうことか

たとえば会社で「レポートを書け」と命令された。そこで一週間徹夜して頑張ってレポートを書き上げた。ところがそれを持っていくと、上司はちゃんと読もうともせず、ちょっと見ただけで「これはだめだ」とポイと捨てた。そのような結果になったなら、その上司に怒りを向けるのではなく、「自分はどこかおかしいのではないか」と思ってください。また、「レポートは役に立たなかった、残念でした」とそこで終わってしまうような態度も良くない。
結果はいつもさておき、とにかく「頑張っている」からよいのだとする「頑張りやさん」の性格は、人間が持っている怠け癖を隠し、ごまかすために使っている場合が多いのです。

要は結果なんですね。「何時間頑張るか」ということではないのです。「徹夜したか、しなかったか」ということではないんです。レポートを書こうと徹夜しなくても、朝早く起きて、さっさと書いて持って行って、それで、上司がOKと言うならその方がいいのです。きちんと行動する人は、ちゃんと自分の仕事で自分の目指す結果を得られるようになるのです。

たとえば上司が意地の悪い人で、どうしても自分を叱りたいと思っているならば、「どんな好みの人か」とその人を勉強して、その人が見ただけで驚くようなレポートを書けばよいのです。たとえば私は、学問の世界のことを少しはわかっていますから、何も内容がないにも関わらず、すごく学問的に研究して書いたような形で書くことができます。そのような論文はいくらでもあります。見ると驚くんですね。すごい本だ、すごく良い研究だと。でも本当は何も研究していないし、何も発見していない、そういうことはよくあるんです。たまに私も人をだますことがあるんです。この人は形や外見ばかり気にして内容に興味がない、そういう場合ですね。すると、その人が気に入るような、大変きれいな形でまとめてあげるんですね。案の定、すごくほめてくれるわけです。そうすると心のなかで舌をペロリと出して「そんなのはレポートなんて名ばかりですよ」と、してやったり。やろうと思えばそんなこともできる。

それは、悪いことをしてくださいというのではなくて、自分に対していい結果を出せるようになれば、自分が幸福になれるわけです。ですからいい結果を出せるように考えて行動すべきだということなのです。頑張っているのに幸福になれないのはなぜかというと、先月お話した「怠け」= ālasiyam(アーラシアン)のせいだということに気付かなければなりません。

 

 

 

落ち着いて、理性的、論理的にやってれば、しかるべき結論に落ち着いて、それで終了するんですよね。

 

主観にまみれると、終わることなく同じところをグルグル回っているかもしれません。

それって、自分にとって良くないですね、自分の心にも良くなさそう。

 

 

なんだか、ダラダラ、グダグダで、いつまでも終了しなかったら、ちょっとヤバイと思って・・、手を打ったほうがいいですね。