引用
いまの瞬間に集中して、いまの瞬間のことだけやれば、人間に不可能なことは、何もないのです。
乗り越えられない苦しみはないのです。
いまの瞬間に徹して、いまの瞬間を十分に生きる人は、悩みもないし、失敗もないし、充実感があります。
私見です。
先生は、またまた簡単にあっさりと書いてます・・・。
私はいまだにきちんと「いま」を生きてません。
ふりかえると、一日のほとんどを、いま、ここ、を観察、気づくことなく、どっさりと無駄に過ごしています。
仕事をしながら、「今度の休みは何しよう」、なんて考えたり。
「あれ欲しいなあ、これ欲しいなあ」とか。
「あー、失敗だった、なんであんなことしたんだろう」とか。
けっこう無駄なこと平気でやってます。
現代風に言うと、「リソースを無駄にしてる」んでしょうね。
昨日は下記の法話で、みっちり「今の瞬間を生きる」を読みました。
お釈迦様の言葉を引用して、いまの瞬間を生きる大切さを学びました。
で、次は、どうすれば、いまの瞬間のことができるでしょうか?
どうすれば「今の瞬間」に集中できるでしょうか?
テキストは一般の方向けなので、「いまに集中」するという言葉を使っていますが、
つまりは「観察」と「気づき」が大事です。
なぜ大事かは、下記の法話で。
上記法話より気になる部分を引用
経典の言葉
- Appamādo amata padaṃ pamādo maccuno padaṃ,
appamāttā na mīyanti ye pamattā yatha matā.- 不放逸は不死の道なり。放逸こそ死の道なり。
不放逸の人は死ぬことはない。
放逸の人は死んでいるようなものである。- (Dhammapada 21)
「いま、ここの」観察や気づきを怠っている人は死んでるようなものである、と理解しました、ヤバイです、私は死んでます。
で、先ほどの続きですが、どうすれば、いまの瞬間に集中できるのでしょうか?
ヒントは下記法話
気になる部分の引用
実は悩み、苦しみ、ストレス等はこの「こころの隙間」に生まれるのです。
日常、実際に必要とする行動に使う時間はほんの僅かです。他はすべて自分が管理できない「こころの隙間」です。自分のこころがどんな状態にあったのかも分からぬのに、その自覚なき間にストレスや苦しみ、悩みの萌芽があるのです。ですから日常の Sati さえあれば、人間には精神的な苦しみも悩みもなくなってしまうのです。我々の生の大部分を費やしているであろうこの膨大な「こころの隙間」という時間のたとえ一部でも Sati の実践に充てるべきなのです。
うむ、ということは「こころの隙間」に時間とか自分の持っているリソースを費やしているのですね。
バカ、バカ、バカ、ですね。
お釈迦様がおっしゃる「死んでる」状態ですね。
バカで死んでる状態はイヤなので、つっかえながらも「観察と気づき」は忘れないようにしたいです。
「観察」と「気づき」の大切さにたどり着いてしまいました。
やっぱり深い本です。