ジャータカのよもやま話

テーラワーダの在家仏教徒 身の回りのことを地味に書いてます。

つねに具体的でシンプル 『ブッダの教え一日一話』

引用

いまの瞬間になすべきことは、「具体的」でとてもシンプルです。

だから成し遂げやすいのです。

ちゃんと完成できるものです。

いまの瞬間に生きる人は、人生そのものを完成させることができるのです。

 

 

私見です

 

先生の文章が下記に引用されていました。

 

高校の進路指導ですね。

 

進学や就職するためには、徹底的に具体的にやらないといけないです。

 

目標を一分ごとに区切ってみると、というお話です、参考になります。

 

 

下記はユニットごとに区切ってみると、というお話です。

www.dananet.jp

 

 

 

 

上記は主に日常生活で行っていますね。

 

上記のことを確実に行うための練習がヴィッパサナーだと思います。

 

下記の法話

j-theravada.net

 

 

気になる部分を引用します。

 

心と体の「気づき」についてですね。

例えば歩くときでも、「歩きます、左足上げます、運びます、下ろします」「右足上げます、運びます、下ろします」というように、一つ一つの動きを丁寧に、確実に感じとりながら歩いていくのです。それは自分のあらゆる動き、立ち上がるとき、座るとき、前を見るとき、後ろを振りかえるときからはじまって、お風呂に入るときでも、服を脱ぐとき、からだを洗うときには洗う動作の一つ一つを、さらにお風呂から上がってからだを拭くとき、服を着るときも当然一つ一つ確認することです。奥さんであれば料理をするときも、お皿を洗うときも、掃除、洗濯のときなどに、ご主人であれば朝夕の通勤のさなか、会社での仕事の途中で、夜家に帰ってからの行動の逐一の確認が “いま、ここ”にいる自分の気づきの実践材料になります。さらに、目から入る現象については、「見ています、見えています」耳から入る情報に対しては、「音、音、聞いています」などと、また舌で「味わっています」鼻で香りを「嗅いでいます」「触れています」「寒い」「涼しい」「暖かい」「暑い」などすべてで「からだ」の“いま、ここ”を認識することが必要です。

一方「こころ」の気づきでは、「悲しい」「寂しい」「悔しい」「怒っています」「欲張っています」「嫉妬しています」「考えている」「妄想している」「悩んでいる」などを確認していきます。

 

 

からだ、こころ、の気づく項目は決まっており、なんていうか、恐ろしくシンプルです。

 

で、1日のほとんどを「いま・ここ」「観察・気づき」を怠った状態で生きてます。

 

放逸ということですね。

 

下記でガツンと言われます

j-theravada.net

 

気になる部分の引用です。

これもあっさり書いてありますけど、アッパマダーはかなりかなり重要な単語です。

皆さんにぜひ覚えていただきたい大切な言葉に“Appamādoアッパマードー amataアマタ padaṃパダン” というものがありますが Amata ; 不死、永遠、pada;言葉、道、歩を表しますので、Appamādoは不死、永遠を得る方法といった意味になるでしょう。逆に pamāda は死を意味する言葉ですから、一般的に訳せば「放逸や怠たることは死を意味します」と言うことになるのです。いったいなぜそうなるのでしょうか?

 

 ヤバイ・・・・。

やっぱり私は死んでます。

 

へなちょこ仏教徒ですけど、死んでる状態はイヤなので、観察と気づきの実践を増やしていきたいです。

 

 

へなちょこ仏教徒だと自覚させる本です。