引用
自分が精一杯がんばったなら、それが結果でしょう。
自分でできる範囲のことしかできないのだから、出た結果は、それで仕方なにのです。
結果を考えるべきではなく、行為を考えるべきなのです。
失敗の多い人は、結果ばかり考える人なのです。
私見です
「行為には怠け無くです」
ちょっと長いですけど、ガツンと引用。
怠けは結果を見ればわかる
「がんばっている」というのは、怠ける人のずるい部分で、怠ける人はよくがんばってしまうのです。それを見抜くことはなかなかむずかしいことです。
私が、昔若い坊主たちを教えていた頃、みんな一番悪い、いたずらをする歳の男の子ばかりだったんですね。いつも大騒ぎでうるさくて、いくら言っても言うことを聞かない。24時間怒りっぱなしでいなくてはならない状態だったんですね。その中にひとり、いつ見ても本を読んでいる坊主がいたんですね。全然遊ぶこともせず、みんなが寝ているような時間にちょっと部屋をのぞいても、本を読んでいるようなタイプだったんです。
ところが他の坊主たちは遊んでばかりいてもだいたいいい成積をとっているのに、その坊主はいくら本を読んでも10点20点とるのが精一杯なんですね。もちろん、脳に障害があるとかそういうことは一切ないんです。家庭の問題もなく、健康なからだ、健康な頭なのです。それで普通の坊主たちの10倍も本をかかえ込んで手から離さないんですね。それでも結果は悪い。
私はこのケースを見て「正真正銘の怠け」だと判断しました。
他の坊主たちは、いつも遊んでいたずらばかりしてるので、その上宿題もやっていないととんでもないことになると知っているのでその辺はきちんとやっている。
「遊びたい」と思う分遊んで、その分を後でがんばっているのです。ずっと勉強している坊主ほ、本当は私たちの言うことを理解しようとしない。私たちが教室で一生懸命しゃべっても、じっと聞いているが理解しようとはしていない、そのかわりに理解しようとしていないことをごまかすのです。
他の子供たちは勉強しながら隣の友達に鉛筆でさしたり足でけったりするので先生は怒る。だから「ちゃんと聞いて、しっかり勉強しなさい」と言われないようにちゃんと聞いている。
本を手放さない坊主は、ただ聞いている格好をつけて「よく勉強している」と、自分をごまかしている。実は自分の心の怠けを自分でごまかしていたんですね。
もしその坊主が、「一応読んでみたけれどよくわからない、授業を聞いてもさっぱりわからない」と覚悟を決めて私に言ってくれたら、私はその人のために何か別の方法を見つけるんですね。それなら私は「その人の脳細胞がなぜ動かないか」と原因を探れますし、何か他の方法を教えることもできたんです。でも、勉強ばかりしているわけですから手に負えません。
よくがんばる人がいます。一生懸命にがんばる、だけれども結果は無茶苦茶。そういう人がいたら気をつけてください。いくらからだを壊すところまでがんばっても結果が悪いなら「怠けている。どこかで自分をごまかしているのでは」と考え直してみてください。
このお坊様、勉強とか、学ぶ状況というのは、どんどん変わっていくのに、それは無視して悪い意味のマイペースなんでしょうね。
で、仏教徒なら、なんでも「これは本当に正しいか否か」疑問を持つべきなのに、自分のやっていることに疑問を持っていないような気がします。
ということは、「自分は正しい」と思って、成果の出ない勉強をしている、ということなんでしょうね。
「自分は正しい」という感覚は、怠けにもつながります、ヤバイです。
「自分は正しい」はたぶん「怒り」の感情ではないでしょうか。
心に悪そうです。
結果ばかり気にするのも心に悪そうです。
なら、その行為を
まずは理性を持って
自分の能力と相談して
疑問を持って
怠けを離れて
達成感、充実感を感じて
楽しく
このようにやったほうが心に良さそうです。
心に良いことをするなら、行為を考えてみたら、と教えてくれる本です。