ジャータカのよもやま話

テーラワーダの在家仏教徒 身の回りのことを地味に書いてます。

無邪気な子供のように 『ブッダの教え一日一話』

引用

小さな子供をみてください。シャツのボタンをはめられたとか、自分で靴を履けたとか、ささいなことで大喜びしますね。

私たちも、毎日に仕事に対して、子供が初めて成功したときのように充実感と達成感を得られれば、とても楽しく、明るく生きることができるはずです。

 

私見です。

 

下記の本を思い出しました。

私がテーラワーダ仏教を知るきっかけになった本です。

 

 

 

引用

こどもは生きている

 

スマナサーラ

日本に来てから私が本当に緊張したのは、幼稚園なんです。幼稚園に呼ばれると、けっこう緊張する。ほかのところでは、緊張がどんなことすら、わからない(笑)。

 

司会

どうして子供の前だと緊張なさるんですか?

 

スマナサーラ

何を言うかわからないから

 

司会

そうした子供こそが、本当の人間なんでしょうか?

 

スマナサーラ

先生(養老先生のこと)も書いておられるように、子供は自然ですからね。子供の出す質問を、大人は単なる思いつきだというけれど、私はそうは思わない。子供だからこそ、本当の質問を出すんです。そういう質問には、こちらもすごく新しく考えて、新しい発見をしなきゃだめなんです。こちらも「生き物」に戻らなくちゃ、答えられないんですね。

 

 

保育園の頃はすごく生き生きしていて

 

小学校、中学校、高校と行くにつれ、なんだか暗くなって、大学、社会人の頃には、死んだようになっている。

 

根拠は無いのですけど、成長するにつれ「生きてる」って感じが失われているような感じがします。

 

これって何なのでしょう?

 

勝手な想像ですけど、成長するにつれ、自我とか、どうでもいい知識とか、貪瞋痴がどんどん自分に纏わり付いて、「生きている」ということから離れていくのでしょうね。

 

で、もっとかわいそうなのが、自我、どうでもいい知識、貪瞋痴にまみれている自覚さえ無いということ、かなりヤバイです。

 

私は、仏教のおかげでこれらに塗れていることを知りましたが、未だにきれいにできてません、子供のレベルには程遠いです。

 

 

大人になるにつれ「死んでる」と教えてくれる本です。