ジャータカのよもやま話

テーラワーダの在家仏教徒 身の回りのことを地味に書いてます。

問題があっても、それは瞬間のこと 『ブッダの教え一日一話』

引用

いまの瞬間に徹すれば、苦があっても、なんのこともなく瞬間的に対応できます。

 

私見です

 

うむ、どうすれば「いまの瞬間」に徹することができるか? ですね。

 

観察能力を上げることが大事なような気がします。

 

関連法話

j-theravada.net

 

 

話は思いっきり脱線します。

 上記法話でアッパマーダの意味が説かれています。

 

「酔う」という意味もあったのですね。

引用

今回は仏教のなかでも特に重大な意味を持つといわれている appamādaアッパマーダ という言葉について考えてみたいと思います。

この言葉はこれまでいろいろな解釈がなされてきました。怠らないこと、努力すること、励むこと、あるいは不放逸という言葉も仏教では有名です。
釈迦尊の最後の言葉もこの appamāda でしたから、仏陀の教えそのものがこの言葉に凝縮され象徴されているといっても過言ではありません。
言葉の語源の語根 √ madは、酔う、混乱、狂うといった意味があります。 pa+māda は酔う状態、狂った状態に陥っていることを意味し、(否定の意味)+(p)+ pamāda は覚醒とか意識がはっきりしている状態を意味することになります。

 

放逸とは酔ってることなのかもしれません。

放逸とは混乱している状態なのかもしれません

 

シラフでも酔っているのですから、お酒とか薬物で更に酔う必要は無いですね、お酒や薬物は「酔い」の上書きになりそうですね。

 

お酒の「酔い」とは縁を切ったのですけど、あと、「いまの瞬間を生きる」というのは理屈の上ではわかってますけど、ほとんどけっこう心を散らかしていることに時間を費やしてます、これも「酔っている」状態なんでしょね。

 

引用

私たちはいまこの瞬間を生きているという現実を、理屈の上では十分理解しています。
しかしそうした現実のなかで、いまこの瞬間を生きながら、心では過去に起きた出来事や思い出などの想念を膨らませているのです。過去に起きたことに悔やんでみたり、悩んだり、あるいは喜んだりしていますね。その一方で、いまこの瞬間のことを判断し、行動しようともします。どちらのあなたが実在なのですか。心は実在しない架空の過去を彷徨さまよっているのですから、この人はいまこの瞬間を確実に、正しく生きているとは言いかねます。 “いま、ここ” に存在することも、“いま、ここ” に起こる現象もありのままに、正確に理解し、体験することも出来ないという状態にあります。いまこの瞬間に起こっていることを理解できないのは死人と同じではないですか。

 

「酔ってる状態は死人と同じ」

 

ヤバイ、ヤバイ、ヤバすぎる。

 

先生以上にお釈迦様は辛口です。

 

 

日常生活で「問題」「失敗」はつきものですけど、これを「酔った状態」「混乱した状態」で対応したら、結果が悪そうです。

 

日常生活で「失敗」したりすると、なんだか、ずーっと続きそうな感じがします、ずーっと引きずってる感じがします。

これは「酔って混乱」してるのでしょうね。

 

「酔って混乱」 イコール 「放逸」 イコール 「死」

 

 

「酔って混乱」から遠ざかる方法ですね、下記引用

“いま” 自分の体に起こること、自分の心に起こることを確実に知って、正しく行動すればいいだけなのです。「いま、この瞬間だけだったら、何とか頑張れる。何とかできる」そうは思いませんか?

 

もっともっと具体的に、引用が続きます

“いま” 自分が、聞く、見る、味わう、嗅ぐ、触る、考える、話す、行動する-要はこれだけのことなのです。そういう人間の “いま、この瞬間” によく気がつく、正しく認識して生きる-悩みや苦しみがなく完全に生きることなのです。そのためのいちばん確実で、いい方法は、もう皆さんお判りですね。これはまさに sati (サティ)の生き方であり、vipassanā(ヴィパッサナー)の実践方法に基づいた生きるべき道なのです。

 

 

うむ、気づきとヴィッパサナーに行き着いてしまった・・・・。

 

最後のガツンとお経を引用して終わります。

経典の言葉

  • Appamādo amata padaṃ pamādo maccuno padaṃ,
    appamāttā na mīyanti ye pamattā yatha matā.
  • 不放逸は不死の道なり。放逸こそ死の道なり。
    不放逸の人は死ぬことはない。
    放逸の人は死んでいるようなものである。
  • (Dhammapada 21)

 

 

お釈迦様が一番辛口です、でも慈しみのある辛口です。

 

本当は辛口の本です。