引用
私たちは日々、自分を育てなくてはならないのです。
ゆっくり休憩している暇などありません。死ぬまで学び続けるのです。
悟れば完了です。休みではなく、完了です。
でも、自分を育てなかったら、何億年も生きていたって悟りにはいたりません。
私見です
お釈迦様のお経や、先生のお話の、結論といいますか、その話の「オチ」は、「悟り」です、お経、説法、法話、お話、その目的は悟るためです。
話の「オチ」に「悟り」が無かったら、仏教でないものかもしれません、
世の中には、仏教からネタを取って、好き勝手に自説を述べる輩がいます(私も同類かも)でも、その話のオチに悟りが無ければ、いくら耳に優しい言説でも、離れたほうがいいかも。
昨日、仕事の話で「挑戦」という言葉が出ました。
「挑戦」は仕事だけでなく、日常生活も「挑戦」です。
この「挑戦」って、育てる、学ぶ、という意味もあると思います。
なぜ挑戦するのか?
悟るためです。
世の中のいろいろな言説には「オチ」がありません、次から次へと新しい説が出てきたり、「あー言えば、こー言う状態」です。
でも、仏教には「オチ」があります、悟れば終了、そこから先はありません。
テキストには「何億年も生きる」とありますが、これ輪廻の無限ループのことだと思います。
無限ループが本当にイヤ、本気でヤダ、と思うなら、日々の勉強と実践しかないのですね。
放逸は無限ループの原因ですよ、苦が待ってますよ、と教えてくれる本です。