引用
学ぶのは、欲のためではありません。
人格向上の役に立つことを学び続けていくのです。
学びというのは、心の勉強です。
そういう学びは知識の習得ではないので、けっして忘れることはないでしょう。
バリバリの私見です。
学びというのは自分が身につけていくことかな、と思います。
学びは目に見えませんが、自分の周りには目に見えるものがあります。
いろいろな所有物ですね
所有といっても一時的なので、自分の手から離れていくことになります。
例えば、うちの父親は、なぜか自転車を8台も持ってますけど、歳を取るにつれ、乗らなくなりました、歳をとって、自転車から離れていくのですね。
その前に車の免許証を返納しました。
私もいずれそうなります。
お金とか財産も離れていきますね。
お棺までお金は持っていけないです、持ってはいけない、とアタマではわかっているくせに、お金にはしつこく執着したりします。
で、知識もです。
例えば、仕事で食べていくために必要な知識ってありますけど、職種を変えたり、退職したら必要なくなります、知識から離れることになりますね。
資格なんかもそうです。
先生のおっしゃる通り、ほとんどが返却期限のある「借り物」ですね。
副読本になります。
第4章に「モノ」とか「知識」への執着に関して、かなり詳しく書いてあります。
借り物の「お金」についてです
ちょっと引用
お金は自分の人生の期限内で正しく、心を汚さず使い切り、人に借りを残さずに死ぬ。これが仏教の勧めるお金の正しい使い方なのです。
で、借り物の「知識」についてです。
ちょっと引用
仏教では知識をやみくもに増やすことを推奨しません。
人生に役立つ知識を増やし、それを使っていく。
それ以外の、自分の人生にとって役に立たない知識は、まったく憶える必要はない。これが、仏教の「知識」に対する姿勢です。
先生は死んでも持っていけるのは「自分のこころ」だとおっしゃってました。
ということは、人格向上、こころを清らかにすることを学ぶということですね。
こころを善くするための学びと実践は、仏教に全てあると思います。