引用
より幸福に豊かになる目的で、人は環境ばかり変えてきました。環境が破壊の寸前になっているのに、人はいまだに幸福、安らぎを感じないのです。
中略
環境ではなく、自分を変えればいかがでしょうか。いかなる状況に置かれても、穏やかで幸福で安穏でいられるようにと。環境を変えるとは、環境の破壊なのです。自分を変えるとは、自分という存在の成長、発展なのです。
私見です
法話の前部分だと、「自然環境」という意味に取れそうです。
例えば、地球温暖化の問題がありますけど、一方は温室効果ガスを減らそうという動きがあり、もう一方では、温室効果ガスは関係ない、このままでいい、という考えですね。
私が若い頃、40年くらい前は、夏の気温が35度とか、38度なんて、滅多になかったです、科学的に詳しく調べていないですけど、気候の変化は実感してます。
あと、「ヒートアイランド」という言葉もありませんでした、利便性を求め、町のありようが変わったのですね、その代わりに「ヒートアイランド」という現象が出てきました。
利便性を求めることで環境が変わり、また新たな問題が出て、キリがなさそうです。
で、法話の後半は、「自分の環境」の話です。
下記の本を参照します。
参考本です。
吉祥経で
「適切なところに住むこと」とあります。
引用
幸福になる次の条件は、環境を整えることです。
まず、どこに住むのか、よい場所を選ぶことが大切です。
テキストでは自分を変える、参考本では環境を選ぶ、とあります。
なんだか気になります。
バリバリの私見です。
参考本の「環境を選ぶ」という意味は、自分の勉強とか職業に関わるものです、「学ぶために自分がそこへ移動する」という感じです、「選ぶ」ということになります、選んでいるだけで環境を変えようという行為ではありません。
で、テキストの「自分が変わる」は、もしかしたら環境を選べない状況があるのかもしれません、そのようなときでも、貪瞋痴で環境を変えようとせず、いかなる状況に置かれても穏やかで幸福でいられるようにすることが大事なのではないでしょうか。
うむ、最後の最後は、「自分のこころ」に善いことをしましょう、という感じがします。