ジャータカのよもやま話

テーラワーダの在家仏教徒 身の回りのことを地味に書いてます。

大地震を想定して 『ブッダの教え一日一話』

引用

前略

例えば、大地震を想定して準備をしても、大地震が起きたとき、実際にどうなるかは誰にもわかりません。

すべての条件は刻々と変化しているからです。だから、どんな変化にも、瞬時に適応できる心の柔軟性が大切なのです。

 

私見です

 

なぜか、先生の「雨が降ったら傘をさす」という法話を思い出してしまいました。

 

詳しくは下記

j-theravada.net

 

上記法話より引用

忘れているのは、教育であろうが、結婚であろうが、家族であろうが、子供であろうが、おしゃれであろうが、全部道具であるということなのではないでしょうか。人生があって、生きるということがあって、その生きるということを素晴らしくするためには、これが必要だ、とわかればすぐ悩むことなく選べるんですね。たとえば、大雨が降っているときに外出しなければならない、そのとき傘をさすかたたんだまま持っていくか悩む人がいるでしょうか。必要なことが明確ならば迷いはなく、悩みもないのです。

 

 

「生きる」ということが本業で、家に住む、というか、「家」は道具にすぎないですね。

 

大地震で「家」が壊れる。

 

道具が壊れただけです。

 

別に自分の「生き方」が壊れたわけではありません。

 

避難場所に行くしかないし、家を直すか、引っ越すか、ですね。

 

本当はそこに「悩み」はありませんね。

 

避難場所でも、ワイワイ楽しく、家を直すときも、引っ越しもウキウキ楽しく。

災害を楽しくするきっかけにできたら最高ですね。

 

 

雨が降っても、カリカリしないで、お気に入りの傘をさせばいいし、まあ、状況に合わせて道具を使うだけの話ですね。

 

状況が変わっても「道具」の話で、自分の心を貪瞋痴で汚すのはバカらしいです。

 

 

道具に執着しないことを教えてくれる本です。