引用
私たちが願いとしてもつべきものがあるとすれば、それは、「人格の向上」です。
どんなことがあっても、その都度、この経験から何を学べるのかと、人格向上に努めるのです。
たとえ不幸なできごとに出遭っても、失敗しても、それを人格向上の糧にしていけるのです。
そうなれば、世間のどんな波にも冷静に対処することができるようになります。
私見です
早速、副読本に頼ります。
引用
181 性格が大事
正しい生き方が基本になければ駄目なのです。たとえ優秀な学生がいて、天才的な能力を発揮したとしても、性格が悪くて、けんかして人を殴ったりするような人だったら、誰からも雇われません。びっくりするほどの天才だったとしても、ゴミ扱いです。知識は二の次で、一番は性格なのです。
後略
まだ、副読本の引用は続きます。
185 人格向上の目的として生きる
前略
そういった生きる営みの目的を、「人格向上のため」と定めるのです。
それ以外のことは「俗世間的プログラム」です。俗世間的プログラムとは、仕事で評価される、出世する、お金持ちになる、自分のやりたい仕事に就くなどです。そういったものを人生の目的にしたら、あまりに寂しいのです、そういったことは「ついで」にやればいいのです。
中略
その(ついでの)「出来、不出来」に一喜一憂する必要はありません。
いかに人格を向上できたか、これが最も大切なことなのです。
私の日常生活
一日のほとんどの時間を、この「ついで」に費やしてます。
ふだんやっていることを「人格向上のためにやろう」という自覚が無いです。
無意識のうちに、自覚のないまま「ついで」をやっているようです。
けっこう、この「ついで」に流されています。
で、できそうなことは
「ついで」をやっている最中でも、五戒を破戒しないように気を付けよう、仏教的にNGなことはしないようにしよう、です。
人格者かどうかは、これは自分では判断できませんね、他人の評価になりますね。
周りの人から煙たく思われないようっだたら、まあいいのではないでしょうか。
うーむ、いつもながら、志の低い仏教徒です。
しみじみ良い本です。
ここ最近は副読本として使ってます。