引用
「私は正しくない。ほとんど知らない」という謙虚な気持ちでいる人が、「学びたい」といういう意欲を起こすのです。
中略
「学びは死まで」というインドの諺があります。また仏教では、「老い朽ちるまで道徳を学びなさい」と言います。
私見です。
私事ですけど、86歳の父親がパソコンが欲しいとのことです。
デジカメで撮った写真を整理したり、文章を作ってみたい、とのこと。
親には阿羅漢のごとく接しなさい、なので、阿羅漢にパソコンを持っていき、教えることになりそうです。
齢をとっても学びというか、いろいろ興味のあることは尽きないですね。
で、仏教徒の「学び」です。
このあいだ書いたものです。
「知らないことだらけ、自分は有学の真っ最中」という自覚が大事なのでしょう。
「学び」に年齢は関係ないですね。
で、この本
ちょっと引用
年齢にかかわらず努力しなくては
仏教の世界には、「目上の人を敬いなさい」というブッダの言葉があります。正しく生きている人なら、年をとればとるほど立派だからです。未熟者の私たちは、その立派な人に教えてもらうしかありません。
しかしブッダは、「髪の毛が白くなったからといって、目上の人だと思ってはいけない。それはただの老人です。道徳的に人格を磨いていないならば、目上ではない」と注意しています。ですから年下であろうとも自分より人格者であるならば、その人から教えてもらう必要があるのです。
ただの老人にならないように気を付けなくてば、と教えてくれる本です。