引用
一日十枚しか原稿を書けない人に、十日で四百枚書けと言っても、できないのは当たり前です。それは断るはずです。
一日百枚くらい書ける人が、(四百枚書けと言われ)「一か月ください」と言って、一か月たったところでまだ原稿ができていないとします。
それは「忙しかった」からではなく、時間を浪費した結果なのです。
私見です
いたって当たり前の話ですよね。
でも、でも、この当たり前が、うまくいかないことがあります、私も。
能力があるのに仕事が終わらなかったら、「サボっている」ということになるのでしょう。
どうしてサボるのか?
下記の副読本を参考にします。
引用
それなのに、今やるべき仕事にうまく対処できない人びとというのは、本当は心の中で「やりたくない」と思っているのです。
うむむむ
どうして「やりたくない」と思うのか?
ヒントになる法話が下記
上記法話より引用
3つの区分の話
すでにご存じのことかもしれませんが、私たちは世の中のことを何でも、三種類に分けてみるのです。その三つとは、
- 好きなもの、気に入るもの。
- 嫌いなもの、気に入らないもの、合わないもの。
- 好きも嫌いも関係ない、普通なもの。
これは「もの」で終わらないのです。私たちがやっていることにも、三種類があるのです。
他人がやっていることも、好き・嫌い・どちらでもない、という三つに分けるのです。自分自身がやっていることも、
- 好きでやっていること
- 嫌々でやっていること
- マンネリでやっていること
という三つになるのです。
知らず知らずのうちに上記3つに区分してるのですね。
遊びだったら「好きでやっていること」、仕事なんかは「嫌々でやっていること」「マンネリでやっていること」に入れてしまいそうです。
テキストの原稿依頼の例えも、たぶん「嫌々でやっていること」「マンネリでやっていること」に入れてしまったのでしょう。
先生は、上記の区分は煩悩が引き起こすとおっしゃってます。
煩悩が混じった判断は、なんだか悪そうですね。
仕事だったら、納期を守らずサボったり、質も悪かったり・・・。
で、先生は「やりたいこと」「やりたくないこと」のほかに「やるべきこと」を加えることを提案してます。
「やるべきこと」なら、貪瞋痴から離れて判断できそうな気がします。
詳しくは上記法話をお読みください。
で、どうして「やるべきこと」やらなくてはいけないか?
貪瞋痴、煩悩から離れて物事は判断したほうがいいですし、時間も有限ですし。
副読本からの引用です
多分、仏典からですね。
マーラはこう語ります。
日夜は消えない。命はなくならない。
人の寿命は減るのではない。車輪が軸を回るように。
中略
輪廻は永遠に続くということです。だから、まぁ修行なんかせずに、人生を謳歌して、おおいに楽しめとマーラは誘うのです。
そのようなマーラの戯言に対して、お釈迦様はこう語られたのです。
日夜は過ぎ去る。命は減る。
人の寿命は減っていく。小川の水のように。
うむ、「やりたいこと」、「やりたくないこと」、「マンネリだ、つまらない」という判断ばかりしてると、輪廻は長そうです。
うむ、かなりヤバイ話だったと、私見の理解でした。
いつのまにか「輪廻は長い」という話になってしまいました。