ジャータカのよもやま話

テーラワーダの在家仏教徒 身の回りのことを地味に書いてます。

小さな一分間の仕事 『ブッダの教え一日一話』

引用

たとえ大きな仕事でも、一分単位で行う仕事はとても小さいものです。小さな一分間の仕事を、妄想しないで、他のことを考えないで行えば、おのずと巧みな行為になってしまいます。それから次の一分の仕事をすればいいのです。

 

私見です

 

営業の仕事をやってるのでお客様のところへ出かけます。

 

で、営業で大きな仕事というと受注額の大きなものになるのかな・・。

 

でも、基本は変わりません。

 

見積、カタログ、サンプルを用意します。

この用意する仕事も細かく一分単位で分けることができるかもしれません。

 

メールとか電話で、アポイントを取ります。

 

で、クルマで出かけて、駐車場にきちんとクルマを止めます。

 

で、受付できちんと来意を告げ、担当者と会います。

 

商品の説明をしますけど、買う買わないを決めるのはお客様。

 

これが一連の流れですけど、ひとつでも欠けたり、うまくできなければ、仕事としては成立しません。

 

決められた場所にキチンとクルマを停めなければ怒られますし、受付できちんと来意を告げなければおかしなことになりますし。

 

アポイントを入れなければ、お互いの時間が無駄になりますし。

 

見積がなければ「何しに来たの?」ということになりますし。

 

パーツのどれかが欠けると、やっぱりうまくないですね。

 

 

 

 

で、一連の流れを巧みにやっているという自覚はまるでないです。

 

でも、時間は限られていますので、無駄には気をつけてるつもりです。

 

 

昨日は、「大きな仕事は小さな仕事の集まり」という話をしましたが、今日のテキストで似たような話が出てくるとは思いませんでした。

 

まだ「巧み」は続きます。