引用
過去のことを思い悩む人は、間違いなく不幸になる訓練をしているのです。
私たちは、すでに終わったことなのに、「あんなことされた」「こう言われた」と、思い出しては、悩んだり悲しんだり怒ったりします。
悩み続けるのは、矢が刺さったまま抜かずに「痛い、痛い」と嘆いているようなものです。それでは遺体を背負って一生運んでいるようなものなのです。
矢を抜かずにおけば、徒に苦しむだけです、重たい遺体を背負っていては、徒らに疲れるだけです。
私見です
関連の法話ですね。
ダンマパダの275にあるのですね、苦しみの矢が刺さる例えが。
で、引用
ずばりこれですね。
自分の幸福をこわしているのは、自分に悪いことをしたいやな人びとではありません。それは、悪いことを忘れないでいつまでも怨みつづける自分の心なのです。
自作自演です、ご苦労様です。
でも、私もいつのまにか、無自覚のまま自作自演に陥っていることがあります。
自作自演って、バリバリの煩悩と貪瞋痴に、首まで漬かっているんでしょうね。
でも、無自覚なんですよ、かなりヤバイです。
自作自演を脱する方法があるのが下記の法話
慈悲の瞑想が良いみたいですね。
過去を背負うパターンで一番深刻なのは、親しい方を亡くした場合です。
サッラスッタンを連想しました。
心に刺さった棘を抜かなればなりませんね。
過去にちょっと書いてます。
本でも読めます。
最後のほうに箭経があります。