引用
ブッダの最後の言葉は、次のように伝えられています。
「さあ、修行者たちよ。おまえたちに告げよう。もろもろの事象は過ぎ去るものである。怠ることなく(不放逸にして)修行を完成しなさい」
「不放逸」とは、パーリ語では「アッパマーダ」と言います。この瞬間はどうすべきか、そのときそのときに気づいていることです。
不放逸であることで、心が育っていくのです。
私見です。
仏教を知らない人から仏教を見ると、仏教の独特な言葉に戸惑うかもしれません。
解脱とか、涅槃とか、勝義諦とか、ダンマとか、業とか、たくさんいろいろ。
で、仏教の初心者のために、わかりやすくするため、仏教の言葉を使わずに、説明しようとする本もあります。
でも、仏教は仏教なのですから、仏教の言葉をきちんと使って仏教の説明をしたほうがいいと思います。
仏教の言葉を使わないと、説明の正確さというか、きちんと伝えていない気がするんですよね。
仏教の言葉を使わないわかりやすい本は、分かった気になるんでしょうけど、大事なことが伝わっていない気がします。
で、「不放逸・アッパマーダ」
バリバリの仏教の言葉です。
漢字の感じだと、怠けることなく、なんでしょうけど、字面の通りの意味だと仏教から遠ざかるような感じがします。
先生はガツンと下記でお答えになっています。
先生は上記でアッパマーダの定義をされました。
で、私の気になる部分はここ
引用です
appamāda は mad と言う語幹から作る言葉です。madは酔うことです。無知ということです。無知な生き方(苦しみ、煩悩が増える生き方)はpamādaです。
こころを明晰に保ち、瞬間に気づき、こころが汚れぬように励むことはappamādaです。
毎日24時間、酔って無知なのだから、そこから離れるよう励みなさい、と理解してます。
仏教の目的は決まってますし、その目的のためにお釈迦様の言葉があり、お釈迦様はその言葉の意味を説明してます。
仏教の目的を前提とした言葉の理解だと、自分の主観に汚染されずに理解できるかもしれません。
本日で『ブッダの教え一日一話』は終了です。
なぜかというと、ちょうど1年やったからです。
ほんの少しは仏教への理解が深まったかな・・というところです。
で、次回からは下記のテキストで始めます。
カテゴリー別に法話があります、これでまた、少しは仏教への理解が深まったらラッキーです。