引用
世の中というのは、気に入るものよりは、気に入らないもののほうが多いのです、希望が叶うよりは、失望するケースが多いのです。
私見を続けます。
うむ、これは日常生活でも実感しますね。
ちょっと身体を使ったりすると、あちこち痛くなります、若い頃にはなかった現象です。
物忘れもします。
「ゴー、トゥー〇〇」するくらいなら、減税したほうが、感染の危険なく経済が回るのに、と思います。
ちょっとカリカリなんかします。
引用
しかし、私が怒ったからといって、世界は私の希望通りに変わりません。私の身体と心さえ、私の希望通りに回転しません。世界と人生はうまくいかなくても、落ち着いて微笑みましょう。
簡単な例で、怒らない秘訣を憶えておきましょう。「降ってくる雨に怒っても、雨はやんでくれません」
うむ、顔にすぐ出てしまうほうなので、微笑むのは無理かもしれませんが、落ち着くことはできるかもしれません、落ち着くというか、時間の経過で怒る気持ちも収まってくるでしょうから・・・・。
と、書いたところで、お客さんとの会話を思い出しました。
そのお客さんは、以前、ある会社のクレーム係を専属でやっており、いろいろな話を聞くことができました。
その中で心に残ったのは・・・・。
人間、面前で怒ったところで「一時間以上怒り続けることはできない、だって疲れてくるから」とのこと。
ただし、面前ではなく、電話とか、一人でいる場合は、怒り続けることができるそうです、疲れにくいのでしょうね。
一人で悶々とする怒りはヤバそうです、だって無限に継続してる感じがあるから。
でも、怒りは時間の経過でやり過ごすこともできそうです。
話が脱線しました。
で怒らない秘訣です。
「降ってくる雨に怒っても、雨はやんでくれません」
どうしようもないことに怒っても、どうしようもないです。
恐縮ですけど、勝手に文章をつぎ足します。
「雨が降ったら傘をさす」です。
「傘をさす」というお話で先生の法話があります。
引用
雨が降る、だから傘をさしていく、そのくらい明確に人生を選んでいけるなら、「悩み」はないということを先月お話ししました。
どんなに偉い哲学者や説法師が、傘をささないわけを解説したとしても、それは屁理屈であってばかばかしいことなんですね。人間は自然と一体にならなければならないからとか、きれいな水に濡れることでからだが健康になりますとか、何を言ってもばかげていますよね。そんなことは我々は普段しないのです。ごく普通に考えて、選ぶ道はひとつしかない、仏教というのは、そのような人生を作りたいのです。雨が降っているならば傘をさす、それしかない、そういう風にしっかりした判断、明確に現実を見極める目を持ってほしいのです。
事象のひとつひとつにいちいち貪瞋痴まみれにならないで、ごく普通にやるべきことがありますよ、という話ですね。
事象に接して、次にやることは怒りじゃなくて、やるべきことがあるのですよ、という話です。
だから、本当はそこに「怒り」は無いんでしょうけど・・、つい怒っちゃうんですね。
怒りそうになったら「傘の例え」を思い出すことにします。
テキストです