ジャータカのよもやま話

テーラワーダの在家仏教徒 身の回りのことを地味に書いてます。

6 「価値」=「執着」 『一瞬で心を磨くブッダの教え』

引用

価値とは執着です。

何かに価値を見いだすことは、そのものに対して執着が生まれたということです。

「あの宝石はすごいなあ」とはポジティブな執着です。「あの人は大嫌いだ。私の敵だ」とはネガティブな価値の執着です。執着の結果は悩み苦しみだけです。物事に価値を入れてしまう癖を徐々に控えてみるならば、心は安穏に達します。

自分に、他人に、その他の物事に、価値を見いだすことは、煩悩という心の汚れであると理解しましょう。

 

私見です

 

真っ先に浮かんだのが下記の施本

嬉しい、嬉しい、無料で読めます。

価値の話が詳しくわかります。

j-theravada.net

 

 

冒頭にダンマパダがありますね。

せっかくだからお読みください。

 

 

 

 

で、最後の部分に気になる質疑応答があったので引用します。

Q:「価値を入れない」とは価値を認めてないということだから、「価値がない」とほぼ同じだと思ったのです。 

A:皆がものごとに価値を入れて苦しんでいるというのは事実です。だからといって、「わたしはものごとに価値を入れずに生活していますよ」と言う人の生き方は、中途半端な生き方で、たいしたことはないのです。あまり機能的でもないし、活発的でもない。逆に価値を入れている人の方が、好きなものや嫌いなもののためにがんばるから、活発です。「わたしは価値を入れませんよ」と言う人は、ただ無気力で、行動的でない迷惑な存在になるだけ。だから中途半端はダメです。 

ブッダは「価値を入れてはいけない」とおっしゃっているわけではありません。ただ、何ものにも価値はないという真理を語られたのです。解釈は一つもなし。「地球が丸い」というのと同じです。
ブッダは無価値ということをいろんな形で説かれていますが、皆さまがよく知っているのは「無常、苦、無我」という三つの言葉です。「無常だ」というと、それでもう価値が消えているでしょう。すべて無常だということは、すべてに価値がないということです。苦というのは空しいということで、すべては苦だというと、それでもう価値がないということでしょうし。無我であって実体がないんだよというのも、同じく、価値がないということでしょう。すべてはシャボン玉みたいなものであって、ホンの一瞬で消えてしまう。だから価値はないのです。 

 

 

 

 

「家族とか、仕事とか、財産なんて、もともと価値なんて無いんだから適当でいいよ、適当で」と、お釈迦様の言葉を勘違いして、手抜きの日常生活をするのは、なんだかおバカさんです。

 

ただの迷惑な存在になってしまいそうですね。

 

 

でも、よく見てみると、自分の心や身体の状態も変化していくし、周りの状況も変化していく、価値があるなあ、と思ったことでも変化していきます。

 

で、これには価値がある、と思ったものでも、経年で価値が変化していく、で、この状況にがっくりくるようでしたら、自分で「価値・執着」をやっていたのでしょうね。

 

変わることはない、と思っていたのでしょうね。

 

まあ、「がっくり」しても、状況はとどまることなく変化しているので、次にやるべきこともあるはずです、がっくりきても、変化を理解し、次への取り組みを始めたら、それはそれでいいのではないしょうか?

 

 

で、話は変わりますけど、ネガティブな価値(執着)って、ポジティブより、ずーっと大事に持っているような気がします。

 

恨みとか・・。

人にやられたイヤなことって、けっこう大事にしてますよね。

 

自分や周りの状況が変わっても、けっこう大事に持っているというか・・・。

 

ポジティブな価値って、状況次第でなんだかあきらめがつくのですが、ネガティブはタチが悪いなあ。

 

本当はすぐに捨てなければいけない価値なんでしょうね。

 

 

失礼しました、上記は私が勝手に思っているかもしれません。

 

 

 

でも、個人的にはネガティブな価値に注意します。

 

一瞬で心を磨くブッダの教え

一瞬で心を磨くブッダの教え