引用
「人が何をしようとも、どうなろうとも、私はその人をゆるします、その人を拒絶せず、愛情を持ちます」とすべてゆるす気持ちになれたら、その人の心は愛情と幸福だけでいっぱいになってしまうのです。その状態をキリスト教では「神」と呼び、他の宗教では別の言葉で表しています。その単語自体はあまり意味を持ちません。
大切なのは「ゆるす」という行為なのです。人の感情を神格化しない仏教は、単純に「慈しみ、ゆるす」という言葉を使います。
私見です。
へなちょこ仏教徒なのでけんかを売られたことがありません。
かといって、たまにストレートに言うこともありますので、喧嘩を売っていると思われるかも・・、かえって良くないです・・・。自分の行為に注意です。
このブログ「許す」で検索したら、いろいろ書いているようですね。
もう、やるべきことは決まってるんですよね
「慈しみ、ゆるす」
これがいいかな
下記の本を参考にしてます。いい本です。
上記の本より引用
お釈迦様はこう諭しました。
「比丘たちよ、罪を犯して、罪を罪と認めない者はいけない。また罪を謝するのに、それを受け入れない者もいけない。その二つの者は、ともに愚かなる者とされる。比丘たちよ、それに反して、罪を犯して、罪を罪と認める者はよい。また罪を謝するのに、それを素直に受け入れる者はよい。その二つの者はともに賢き者と呼ばれる」
謝罪がなくても、条件をつけず、後腐れなく、一発でゆるす、ということで・・。
「ゆるさない」という心自体が貪瞋痴にまみれているんでしょうね。
うむ、殺されても ゆるす、ということで。
今のところ、ちょっと自信ないですけど、でも、心が汚れたまま死んでもなあ・・。
いままで書いてきたことの復習にもなる本です。