oldmanbuddhist

テーラワーダ仏教を地味に勉強してます、そのメモ書きになります、きちんと学びたい方には参考にならないです、ご了承願います。

8 どこまでもゆるす 『一瞬で心を磨くブッダの教え』

引用

他人の過ちをゆるすことは人格者にしかできない立派な行為です。恨むこと、ゆるさないことは、犬、猫でもやっている本能的な行為です。

ゆるすことは良いと思う人々も「ここまでならゆるす」という条件をつけます。要するに、条件を超えたら自分が犬猫のレベルに落ちることになります。条件をつけず、どこまででもゆるす人間になりましょう。自分の人格が見事に向上するのです。何事にも忍耐できる能力が現れるのです。

 

バリバリの私見です。

 

想像で書いて恐縮です。

 

多分、悟った人だったら、自我とか貪瞋痴とはないので、他人の過ちがあっても、「ん?」ってぐらいで、「ゆるす」という単語さえ無いんでしょうね。

 

で、私は貪瞋痴まみれなので、他人の過ちを受けると本能的に「何すんだよ!」と即座に反応してしまう、心を汚してしまう。

 

だから、「ゆるす」という実践が必要なんでしょうね。

 

 

 

いい施本があります。

無料で読めます、嬉しいです。

j-theravada.net

 

 

中部経典の「のこぎりの例え」ですね。

 

お経です。

 

お経というとお葬式や法事でしか聞かない展示物のような理解できないものがありますけど、お釈迦様のお経は現代でも通用するものです。

 

弟子たちに懇切丁寧に教えを説くお釈迦様に、個人的に「ジーン」ときます。

 

先生の本で「怒り」について書いたものがたくさんありますけど、この本が一番好きです。

 

どうぞ、読んでみてください。

 

 

 

すみません、私見が続きます。

 

「どこまでもゆるす」というと、究極は、「自分が殺されても」かな、と思います。

 

例えば、殺されてしまって、怒りや恨みを持って死んだところで、次も汚れた心で生まれてくるんでしょうね、これはイヤだなあ。

 

で、殺されそうになっても、その瞬間に「慈しみとゆるす」を実践なんでしょうね、「あとは死ぬだけだ・・」と、でも、これは自信がないなあ、へなちょこ仏教徒なので・・。

 

ダメダメです。

 

上記の本より、お経の最後の部分を引用

比丘たちよ、また、もし、凶悪な盗賊たちが、両側に柄のあるのこぎりで手足を切断しようとします。その時でさえも、心を汚す者であるならば、彼は、私の教えの実践者ではありません。
比丘たちよ、そこでまた、まさにこのように、戒めねばなりません。すなわち、――私たちの心は、決して、動揺しないのだ。また、悪しき言葉を、私たちは発さないのだ。また、こころ優しい者として、慈しみの心の者として、怒りのない者として、私たちは生きるのだ――と。また、その人とその対象に対しても、すべての生命に対しても、増大した、超越した、無量の、怨恨のない無害な慈しみの心で接して生きていきます――と。比丘たちよ、まさしくこのように、あなたたちは戒めねばなりません。
比丘たちよ、そして、あなたたちは、この、のこぎりのたとえの教戒を、つねに思い出すのであれば、比丘たちよ、あなたたちは、耐え忍ぶことのできない、微細もしくは粗大な、言葉を見出せますか」
「尊師、見出せません」
「比丘たちよ、それ故に、この、のこぎりのたとえの教戒を、つねに思い出しなさい。それは、長きにわたり、あなたたちの利益のため、安楽のためになるでしょう」

 

 

 

へなちょこなので、残念ながら貪瞋痴で、「耐え忍ぶことができない言葉」が浮かんできそうです。

 

ヤバイヤバイと自覚しながら、「慈しみ・ゆるす」の実践しか無いのですね。

 

 

 

「怒り」の章はまだまだ続きます。

 

一瞬で心を磨くブッダの教え

一瞬で心を磨くブッダの教え