ジャータカのよもやま話

テーラワーダの在家仏教徒 身の回りのことを地味に書いてます。

11 怒り対処法 『一瞬で心を磨くブッダの教え』

引用

前略

自分が怒っていることを観察して、それに気づくのです。「自分を外に出して見る」という方法です。「私が怒っている」というふうに「私」と見るのではなく、まるで他人のことのように「この人は」と見ます。

 

私見です。

 

えーと、仏教を知る前は、観察なんてできるわけなくて、いつも怒りで全焼し、気づいた頃には、すでに焼け落ちていた状態でした。

 

途中、怒っていることを自覚できれば、延焼を防ぐこともできるのですけど、怒っているのに、怒っていることさえ自覚できず、怒りの感情の真っただ中にいるんですよね。

 

「自分が正しい」なんて思うと、もう全焼・焼け落ち、ですね。

 

なかなか「なに、オレ、バカなことやってるんだろ」には、ならないのですよ。

 

 

で、仏教を知ったおかげで、「オレ、バカじゃん」に気づくことができるようになりました、まだまだ成功率は低いですけど・・・。

 

 

 

 

ヴィッパサナ―瞑想をしていて、観察を怠ると、どうでもいい感情や思考に、あっというまに覆われてしまいます。

 

覆われる状況に気づけば、なんていいますか、気づくだけで、成功です。

 

でも、覆われる状況は非常に早く、無自覚のまま進むので、「ああー」と思うことも多いです。

 

でも「ああー」と思っても、「ああー」に気づき観察すればいいです。

 

 

 

 

ここまで書いて、下記の本を思い出しました。

 

いのちの最後の授業

いのちの最後の授業

 

 

 

引用

001

煩悩は何を怖れる?

 

煩悩が怖れていること、

それは気づきが間に合うことです。

気づきが間に合っていくこと、

ただそれだけなんです。

 気づきが間に合った瞬間、

煩悩は消えてしまうからです。

 

 

煩悩と気づきの追いかけっこ。

煩悩に出し抜かれても、出し抜かれたことに気づけば、間に合ったということで。

 

先生の「他人を見る例え」も、これと似たものだと思います。

 

 

 

気づきがまったく無い状態はヤバイ、と教えてくれる本です。

 

一瞬で心を磨くブッダの教え

一瞬で心を磨くブッダの教え