引用
怒りそうになったら、お釈迦様の言葉を思い出すとよいでしょう。
「たとえ泥棒が来て、私をノコギリでバラバラに切っても、私は怒らない、怒ったら私の負けだ」
それで怒りはすぐに消えてしまいます。
私たちが、いつもこのノコギリの戒めとともに生活すれば、人間関係では何一つ問題を起こさないでしょう。人生が幸福一色になることは確実です。
私見です
うむ、「私は怒りませんよ」と言ったところで、それが静かな穏やかな環境で言ってもなんだか説得力がありませんね。
かなりヤバイ環境でも、無条件で「怒りを制御」するということです。
ノコギリのお話が出てくるのはこの本
怒りに関してお釈迦様がガツンとおしゃってます。
怒りに対する仏教徒の心得の本でもあります。
本日の副読本、無料で全文読めます。
で、本より引用
誰からも被害を受けたことがないという人など、世の中にいません。どんな人間でも何かひどい目に遭っています。被害を受けることは当たり前なのです。被害者コンプレックスで恨み憎しみを繁殖させるばかりだと、我々は同時に加害者でもあることを簡単に忘れるのです。他人に怒る理由、他を恨み憎む理由など、存在しません。人は、いい加減な屁理屈を駆使して、他人を恨むため、他人に害を与えるために、いくらでも言い訳だけはつくるのです。
ノコギリのたとえを心に刻み込んでおくと、他から害を受けても怒らず憎まず、穏やかでいられるのです。その人の心の幸福を壊すことは誰にもできません。「加害者を許すこと、加害者を憎まないこと、加害者に対しても慈しみの気持ちを抱くこと」――これは仏教徒の特徴なのです。
うむ、
恨み、怨みを持ち続けると・・・。
自覚のないまま簡単に加害者になってしまっている。
おバカさんで怖い事態です、でも、そうなんですよね。
平気でいつのまにか加害者になってることもあるんですよ。
陰口、悪口もそうなのではないでしょうか。
で、
「加害者を許すこと、加害者を憎まないこと、加害者に対しても慈しみの気持ちを抱くこと」――これは仏教徒の特徴なのです。
私自身、へなちょこ仏教徒ですが、たまに怒りに負けることがあっても、負けっぱなしはイカン、ということで。
いつも書いてて思うのですが・・。
へなちょこ仏教徒のオチは、「慈悲」になりますなあ。
うむ、深い本です。