oldmanbuddhist

テーラワーダ仏教を地味に勉強してます、そのメモ書きになります、きちんと学びたい方には参考にならないです、ご了承願います。

21 感謝は怒りの解毒剤 『一瞬で心を磨くブッダの教え』

引用

感謝とは怒りに対する解毒剤の一種です。仏教が推薦する感謝は、明確で具体的なものです。食卓にごちそうがそろったら、皆単純に「いただきます」と言いますが、それはマナーにすぎません。自分が食べることだけを気にしているのです。今度はぜひ、食卓に座ったら「お母さん、ごちそうを作ってくれてありがとうございます。お父さん、毎日頑張ってくれてありがとうございます」と言ってみてください。おそらく恥ずかしいと思うでしょう。それがポイントです。一回やってみたら、奇跡的なほど、両親の心が幸福に満たされます。子どもも楽しみと幸福を感じます。それで心の病がなくなります。

後略

 

バリバリの私見です。

 

両親は私にとっての阿羅漢ですから、阿羅漢に感謝することは当たり前です。

 

で、高齢ですので、多分私より早く今世からいなくなります。

 

いなくなったら、せっかくの具体的なことができなくなります。

 

「善いことは、急げ、急げ」です。

 

 

感謝について下記、先生の具体的な講義があります。

j-theravada.net

 

上記より引用

感謝する相手です。

親に感謝する、教えてくれる先生に感謝する、目上の人に感謝する、知識人に感謝する、自分より道徳的に高い人に感謝する。仏教で祈る対象というのは、要は恩を受けた「他の人たち」です。

お釈迦様は、自分を少しでも助けてくれる人があったら一生その人の恩は忘れるな、恩を忘れるのは人間らしくないとまでおっしゃっています。

 

 

巷にある世の宗教は、見たこともない、お世話になったこともない、想像の事象を(見たこともない神様とか)信仰し、感謝したりします。

 

うむ、仏教はそれとは無縁だなあ。

 

具体的な方に具体的な感謝をします、曖昧さはありません。

 

引用

法僧に礼をするのも真実を教えてくれた先生だからであって、やみくもにただ感謝せよというのではありません。私がときどきおかしく思うのは、正しい生き方や人の心を清らかにする方法を教えてくれたお釈迦様に手を合わせるのを恥ずかしがる人が、コマ犬や獅子などに手を合わせる姿を見かけることなのです。師としてのお釈迦様に手を合わせることは、恥ずかしい「盲信」でもなんでもありません。ごくあたりまえの人間としての道徳だと思われませんか。その程度の文化的な心がなければ到底悟りなど開けません。

 

 うむ、感謝の対象は仏法僧です、具体的です。

 

 

なんか、話はズレてしまいました。

 

でも、慈しみと感謝があれば、怒りが割り込む場所が無いです。

貪瞋痴が突け入るスキを空けないということで・・。

 

で、慈しみと感謝で幸福になったら、次にすべきことがありますよ、と上記の講義に書いてあります、どうぞ最後までお読みください。