引用
怒るのではなく微笑んでみる
私見です。
テキストの「怒り」の章はこれで終了です。
章の締めというか、オチは「微笑み」「笑い」ですね。
で、やっぱりこの本
上記の本でも、終わりの章に「笑い」が掲載されています。
引用します。
怒るのはすごく無知なときだということは何度もお話していますが、正しい笑いが生まれるときには知識が働いているのです。我々はどうして笑ってしまうのでしょう?「おかしいから」ですね。「おかしくて、おかしくて、もう笑い転げちゃう」などという言い方もしますが、普通の法則から見ると違和感があり、そのズレがおかしさとして感じられるのです。笑う瞬間にはそれを理解できているのですから、人間は無知でもバカでもアホでもないのです。怒るときはその正反対で、わけもわからない状態なのです。怒る代わりに笑おうという場合には、無知の代わりに智慧や知識が必要なのです。
そうそう、怒るときって視野が狭くて、情報が不足して、状況がわかってなくて、もう判断自体が間違えているので、結果がヤバそう。
でも、笑うときって、状況が理解できているんですよね。
で、もう次にやるべきことがわかっているのですね。
その場合の笑うは「笑う」です。
「嗤う」ではありません。
「嗤う」には無知の匂いがプンプンしますね。
仏教は「嗤う」とは無縁です。
で、微笑み、笑う、というと、やっぱりユーモアですね。
ユーモアに関する本があります。
うむ、お釈迦様はユーモアの人でもあります。
私の場合、若い頃より、齢をとった今の方が、ユーモアの話って実感できます。
仏教はタイムリーなところにタイムリーな本があります。
序章より引用
この本を出すにあたって、私はいろいろ、お釈迦様のユーモアが盛り込まれた例を研究しました。なにしろ仏教やお釈迦様にとって、「ユーモア」という切り口は初めての試みなので、参考にするものはありません。
ですが、あらためて調べてみますと、とてもたくさんあって驚きました。経典の例を挙げながら、「お釈迦様のユーモア」をご紹介していくことにしましょう。
『怒らないこと』にでてきた「正しい笑い」とはなんぞや、ということで、『ブッダのユーモア活性術』にはこうあります。
引用
それでは、仏教のユーモアとはどういうものでしょうか。その特徴をいうと、
①品格があります。
②役に立ちます。
③教えがあります。
この三つを要素としたユーモアです。
うむ、詳しくは上記の本をお読みください。
で、上記の本でやっと、あの有名な「怒りを受け取らない話」を見つけました、出典も見つけました、大乗でも法話に使っているようです、これが元ネタですね、せっかくですから正しく覚えましょう。
これを引用して「怒り」の章は終了です。
引用
エピソード1「誹謗中傷のおもてなし」
あるとき、バラモンが、お釈迦様を言いたい放題に非難・侮辱・誹謗中傷しました。きっかけは、そのバラモンの友達が、お釈迦様に会って話しただけで出家したことでした。出家したバラモンは、バラモンの中でも有名人だったので、その人が出家したことにバラモンの面目は丸つぶれだったのです。ですから、「お釈迦様はバラモンの宗教に泥を塗った」と思ってとても怒ったのです。
バラモンはお釈迦さまに直接会いました。お釈迦様に対して挨拶のかわりに、ふつうは人間に対して使わないきびしい言葉で、罵りました。気がすむまで誹謗中傷の言葉を吐き出しました。
侮辱されたお釈迦様は、本人が喋っている間は、ずっと待っていました。そして、怒ったバラモンが疲れ切って話をやめたときに、こう切り出しました。
「あなたは、どう思いますか?」
と。その調子は、さんざん怒られたあとにもかかわらず、経典になるパーリ語そのまま、まるで教えを説くかのようです。お釈迦様はおたずねになります。
「あなたは、どう思いますか? 自分の家に友達とか親戚とか、あるいはお客さんとか誰かがときどき来たりするでしょう?」
侮辱したバラモンは「えぇ、来ますね」と答えます。
「あなたはお客さんが来たら、毎回ではないかもしれませんが、腕をふるってご馳走したりする場合もありますね?」と、お釈迦様は続けます。侮辱したバラモンはまだ怒っていて、「ありますけど! それがなにか!」という感じで答えます。お釈迦様は続けて質問なさいます。
「もし、たくさんのごちそうを作ったのに来る予定のお客さんが現れなかったら、その食事をどうしますか?」
するとバラモンは「ご馳走なので、私と、家内と子どもたちで食べます」と答えました。そこでお釈迦様は、本人からの答えをもとに、結論を出しました。
「いま、あなたは私に誹謗中傷・非難・侮辱などの接待をしましたが、残念ながら私はそれを受け取りません。ですから、自ずとその誹謗中傷・非難・侮辱は、あなたと、奥さんと子どもたちで受け取ることになります」
この一言で、一発解決です。
中略
それからお釈迦様は、冷静に彼に語ります。
「バラモンよ、侮辱する人に侮辱を返す人、
怒る人に怒りを返す人、
喧嘩を売る人の喧嘩を買う人。
侮辱はその人のものになる。
怒りはその人のものになる。
喧嘩もその人のものになる。
と、説かれたのです。ようするに「侮辱を返さない人が、侮辱されない、傷つかない」という意味なのです。
後略
「この経典の引用は相応部有偈篇婆羅門相応2」
うむ、3つの要点がそろってますね。
詳しく知りたい方は本をお読みください。