引用
この世界がなぜゴチャゴチャなのかといえば、誰もが「欲しい」という基準で生きているからです。「必要」で生きれば、世界はいつでも満たされています。
話は思いっきり脱線します。
先日、勉強会がありました。
世起経と初期仏教のコスモロジー経典を読む|パーリ三蔵読破への道
仏教の宇宙観のお話です。
現代科学を学ぶと受け入れがたいところもあるかもしれません。
もしかしたら大乗は、これをマジにとって脚色して大事なものだと勘違いしたのかもしれません。(想像で恐縮です)
でも、お釈迦様の説くほかの話と矛盾する部分はありませんでしたので・・・。
なんだか妙な納得感がありました。
お釈迦様は「自分が言うんだから信じろ!」ではなくて、バラモンに「こうなったから、こうなって、こうなったから、こうなっていった」と。
で、バラモンは、「ふーん、そうなんだあ」と。
堅苦しい説法ではなく、茶話会のような感じでお話したのではないでしょうか。
で、気になる部分をちょっとまとめました。
最初の生命は、喜びを栄養にして飛び回っていて長寿でした。
せっかくご機嫌に過ごしていたのに、生命は退化していくのですね。
退化の原因は心にあります。
心は徐々に汚れていきます。
それから肉体的な身体が現れたり、複雑な社会構成が現れたりします。
物質と結びつくことで、物質がらみの面倒くさい世界になっていくのですね。
あえて誤解を恐れず言うと・・。
物質と結びついた貪瞋痴のある世界って、どんどん複雑化していきますね。
物質があると貪瞋痴が生じやすくなるし、貪瞋痴を肯定しようとすると物事はややこしくなりそうですね。
例えば企業活動や政府の政策なんかも一皮むけば貪瞋痴なのかもしれません、で、貪瞋痴を隠そうとすると、政策、制度はどんどん複雑になっていくのかもしれません。
テキストの冒頭にある、ゴチャゴチャした世界=複雑な社会構成
その出来上がった理由がお釈迦様のお話でわかります。
詳しく知りたい方は動画をご覧ください。
で、本筋に戻ります。
もう物質世界とは切っても切れないし、そのうえ貪瞋痴もあるし・・・。
せめて物質との正しい付き合い方ですね。
それが「必要」ですね。
とは言いつつもうまくいきませんね。
好物はついつい買いすぎて家人に怒られてしまうし。
すぐに新しいスマホは欲しくなるし。
いかんいかん、ここには「必要」が無いですね、あるのは「欲しい」です。
うむ、貪瞋痴が侵入してますね。
テキスト引用続けます
仕事も、「必要」という基準でしてみてください、ものすごく楽になります。
「必要」の基準は物質だけではありませんね、「行為」もそうです。
引用続けます
「必要」という言葉を我々が理解できれば、人間は幸福なのです。欲がからむと我々の能力は低下します。理性がなくなります。判断を間違えます。それで失敗します。欲があるとすごくストレスがたまるのです。キーワードは「必要ですか?欲しいですか?」です。
「必要・欲しい」で、自分の理性を問うてきます。
いつも「欲しい」に負けっぱなしでいいんですか?と聞いてくる本です。