引用
お釈迦様は、心に清らかな思考を入れ替える順番を説かれています。まずは、余計な怒り、余計な欲をやめることです。「余計」がポイントです。日常起こる常識的な欲、怒りではなく、常識を超える欲、怒りです。
欲、怒り、嫉妬、怨みなどがたとえ心にあっても、常識範囲を超えてはいけないのです。
常識、非常識を区別すると、理性が現れます。子どもが勉強しないで遊ぶと、少々怒ってあげなくてはいけない。お腹がすくと、おいしく気持ちよく食べたくなります。常識範囲です。服を買うときは、かわいく美しく見える程度の服を買う。常識範囲です。
子どもを怒ったのに、怒りが消えません。さらに悪いことをするでしょうと推測するから、怒りが続く。非常識です。食べるなら毎回、ごちそうを食べなくてはと思うと非常識です。服やカバンなどが高級ブランドでなければと思うならば、非常識の欲。家族を愛すること、仕事を愛すること、休日に友達と楽しく過ごすことなどは、常識範囲の欲。妄想のせいで、いとも簡単に常識範囲が破れます。それに気をつけるのです。
このテキスト、きちんと引用元が明記されています。
例えば
25番 『欲ばらないこと』から引用
26番 『欲ばらないこと』から引用
27番 『欲ばらないこと』から引用
28番 本書のための書下ろし
明日の29番は『真理のききめ』からの引用です。
この本をきっかけに引用元の本をいろいろ読んでみてもいいかもしれません。
脱線しました。
私見です。
善いこと、善行為は、善の「余計」をどんどん積んでいくべきなのでしょうけど、悪行為のほうが「余計」を積みやすいというか盛りやすいというか・・・。
しょうもない悪い行為に関して、いとも簡単に余計なことをしてしまう。
人間は、変に、うまくできているような気がします。
テキストでは
「余計なこと」イコール「非常識」ですね。
いままで社会的な一般常識は、学んできてると思うのに、いざというとき出来ないのですね、簡単に非常識に陥ってしまう。
今ふうの言葉で言うと
「悪い方に盛ってる自分に気づいたら注意です」
きちんと引用元がわかるテキストです。