引用
欲を捨てるのは、簡単なことではないのです。「欲を捨てた」と思っていても「ケーキが四つ並んでいます。どれか一つ食べてください」と言われたら、一番食べたいものを選ぶでしょう?どれが一番まずいか考えて「じゃ、これにします」と言う人はいませんね。。ですから無責任に「欲のない生活をしています」とか「欲を捨てる」とか「瞑想しているから欲はない」などと言えるものではないのです。無常という心理をとことん理解してないと、対象についてクールな心は生まれないのです。
私見です。
下記の本をちらっと読んでみました。
欲は預流果でもまだあるし、一来果で少し弱まって、不還果で欲界への執着すべてが断ち切れるとのことです。
上記の方々は、「俺は欲がなくなったー!」とか、「欲が弱まったみたい」などといちいち自己申告なんてしないでしょう。
うむ、それにしても、欲は、けっこうしつこく残りますね。
欲は本能とか生存にかかわる部分もあるのでしょう、しつこいです。
いつもの副読本を読みます。
引用です
第二章の4
4 欲の親分は生存欲
欲という組織の親分
欲は、やくざの組織に見立てることができます。たくさんの構成員がいて、シノギで稼いで、親分に上納しています。実にたくさんの種類の欲が、親分にエネルギーを納めながら人間を不幸に陥れます。
では、欲の親分はいったい誰なのでしょうか。
欲のいちばんの親分、それは生存欲です。お金が欲しいとか、ご馳走を食べたい、旅行したい、映画を見たいなどというのは子分たちです。子分たちの欲も困ったものですが、親分はなんといっても生存欲です。「生きたい、生きていたい、死にたくない」という欲です。
っで、本では、「親分の生存欲」について先生が詳しく説明されています、ぜひお読みください。
気になる言葉は
「死んだこともないのに、死にたくないって、なぜ?」
「心は死を知っている」
うむ、親分の力は強大ですね。
生存欲に「やれ!」と言われたら、なんでもやりそうです。
道徳的に、法律的にヤバイこともやってしまうのではないでしょうか。
テキストでは「無常という心理をとことん理解してないと、対象についてクールな心は生まれないのです」とあります。
藤本先生の本では、預流果に至ると無常がわかる、とあります。
3つの煩悩が断たれますので、そのとき無常を体験するのでしょうね。
無常を体験すると欲も弱まってきます。
先生のテキストの言葉の意味もわかります。
うむ、仏教は順序よく、とてもうまく出来ています。
欲だらけの私は欲について大きなこと言えませんけど、「欲」についての勉強はできそうです。
勉強に誘ってくれる本です