引用
前略
全ては与えられたものです。それなのに、与えられていないものを取る愚か者もいるのです。与えれたもので命をつなぐのは自然の流れです。命は独立しては成り立ちません。ですから、人がエゴイストであるならば、その時点で命の法則を破っているのです。法則を破ると生きる権利がなくなります。エゴを捨てて、命を自然の流れにまかせてください。いただいている恩恵を、自分の義務を果たすことでお返しください。
エゴイストは世界に、社会に、家族に、友人に、他人に文句を言うのです。他人から恩恵を受ける資格を失います。理性がある人は、借りを返す気持ちで生きてみます、その人は幸福に恵まれます。
私見です
うむ、自分の体さえ自分のものでないのに、あれもこれも自分のもの、という生き方は錯覚に満ちて、ありのままに観る、ということから離れていきますね。
人間は生きてることじたいヤバイので、油断してると救いようのないエゴイストになるかもしれません。
私自身、エゴイストですけど、エゴイストはイヤなので、それを弱めるためにはどうすればいいでしょう。
エゴ度を弱めるヒントになる法話です
よくある宗教の経済的な「お布施」という話ではありません。
ちょっと気になる部分を引用
(借りるだけの生き方)
人間は一人では生きていけない。生きている間はずっといろんな恩恵を無数に、大量に、また限りなくいただきながら生きているんですね。人間というのはいつでも、借りる、借りる、借りる、「借り」ばかりです。この身体も心も実は借り物で、考えてみれば私たちは借りもいいとこなんですね。借りだらけ。だから人にはあまり幸福に生きているという実感がないのです。「借り」だけの生き方をしていると、どうしても法則として、借金取りに追われているような気持ちで生きていくことになります。人は幸せを感じる余裕がないのです。幸せになりたければ、物事を希望どおりにうまく運びたいという気持ちがあるならば、この借りだらけの人生を逆にして、借りを返す生き方
に転換しなければならないのです。わかりやすくいえば、「あげる」ということをしなくてはいけないんですね。
「あげる」とは具体的になんぞや、という話が上記のリンクにあります。
大乗仏教の文化に慣れた私はお布施の意味を長らく誤解してました。
お布施には深い意味がありますし、エゴを弱めるヒントもあります。
じっくり読んでいただければ嬉しいです。
欲からエゴへ、
次はエゴを弱めるにはどうすれば?と
テキストは進んでいきます。