引用
前略
満たす気持ちをやめて、わずかでも得たもの対して喜びを感じたらいかがでしょうか。ないものに泣くことをやめる。たとえ失敗することがあっても、努力することが楽しいのです。他人のために頑張ることが楽しいのです。
得ることは瞬間の楽しみですが、あげる楽しみは長持ちします。
私見です
「得ることは瞬間の楽しみですが、あげる楽しみは長持ちします」
さて、いよいよ「あげる」です。
下記の本
上記の本より
第7章 執着を捨てる
1「与えること」の真実
施しはよく謳われ、かつ嫌われる道徳
お釈迦様が説かれる「施し」は因果法則の使用例
2 与えることと奪うこと
財産と力の関係
世の中は物質も心も弱肉強食
欲の感情で行う行為は罪、非道徳
3 与えると損するか
与える行為は自分が恵まれる結果になる
「金は向こうから寄ってくる」の理由
「与える」は、恵まれるポテンシャルの貯蓄
ポテンシャルの差は、徳の差
徳の差①どんな気持ちで与えるか
徳の差②何を与えるか
徳の差③誰に与えるか
徳の差④与えたり受け取るときの気持ち
4「施し」は基本道徳
最初に学ぶべきは「施し」
「解脱を目指すので施しを止める」は成り立たない
いよいよ「欲」を弱め具体的なお話になります、詳しくは本をお読みください。
で、ちょっと気になる部分を引用
3
与えると損するか
与える行為は自分が恵まれる結果になる
お釈迦様は因果法則を知って「じゃあ、取ることではなく、与えることをやってみてはどうですか」と説かれたのです。こちらが「取る」相手だと、相手も「取る」になりますが、こちらが「与える」だと、向こうは逆のことを感じます。なんとなく「申し訳ない」という気分になります。
それでなくても、この世は「取る」を争っている状態です。
争うと、たぶん「悪」も出てきますので、悪に備えると世の中はどんどん複雑になっていきます。
うーむ、住みにくくなりますね。
でも、「あげる」とか「わける」とか「与える」とか「施す」という世の中だったら、住みやすそうです。
「取る」という行為は、なんらかんら言っても感情的な貪瞋痴が混ざってるニュアンスがあります、「与える」という行為は貪瞋痴が薄まってます、理性のほうが勝っている感じがします。
でも、日本人だと、歴史の浅い神仏文化のせいで、けっこう「お布施」を誤解しているかもしれません。
先生は第7章で、お釈迦様の2500年前に説かれた教えの「欲」から離れる方法を徹底的に具体的に書いてます。
誤解を解くためにも、やっぱりお読みください。