oldmanbuddhist

テーラワーダ仏教を地味に勉強してます、そのメモ書きになります、きちんと学びたい方には参考にならないです、ご了承願います。

40 自我を捨てても損はない 『一瞬で心を磨くブッダの教え』

引用

「自我を捨てなさい。執着を捨てなさい」と言われると、人は嫌な気分になります。「こんな大事なもの、捨てなさいと言われても捨てられるわけない」と思います。ブッダの話を聞くと、大損するのではないかと思ってしまうのです。

しかし、自我を捨てても執着を捨てても何の損もありません。

はじめから自我はないのです。

あるのは「自我があるという幻覚」です。

幻覚が消えたところで、良くなるのであって、悪くなるはずはないのです。

 

本日から「自我」です。

 

いつもながら話は思いっきり脱線します。

 

昨日買った本

 

「日本の伝統」の正体(新潮文庫)

「日本の伝統」の正体(新潮文庫)

  • 作者:藤井青銅
  • 発売日: 2020/12/23
  • メディア: Kindle版
 

 

 

いま、読んでいるところです。

 

例えば、お正月には「初詣」ですね。

本書では、今の「初詣」が始まったのは、約130年くらい前から・・・・。

けっこう最近ですね。

 

で、カレンダーには、よく「六曜」が書いてありますね。

「先勝、友引、先負、仏滅、大安、赤口」ね。

えーと、迷信です・・。

一時期、明治政府が旧暦から新暦になった際に、迷信入りの暦を正式に禁止するんですよね。

 

でも庶民の生活文化には、この迷信が必要だったのでしょうね、復活します。

 

六曜が日本に伝わって、約六百八十年。

現在の名前と順番になって、約百八十年

禁止されて、約百四十五年。

復活して、約七十五年。

 

 

うむ、けっこう「伝統」って新しい。

 

 

この本を読むきっかけになったのは、「カーラーマのお話」が頭の中に入っていたせいです。

下記リンク

j-theravada.net

 

引用

『カーラーマ族の人々よ、あなたがたが疑うのは当然のことである。そして、疑いのあるところにまどいは起こるものである。
あなたがたはある説かれたものを真理として受け取るときに、

  1. 人々の耳に伝えられるもの、例えば秘伝や呪文じゅもん、神の啓示などに頼ってはいけない、
  2. 世代から世代へと伝え承けたからといって頼ってはいけない、
  3. 古くからの言い伝え、伝説、風説などに頼ってはいけない、
  4. 自分たちの聖書や教典に書いてあるからといって頼ってはいけない、
  5. 経験によらず頭のなかの理性(思弁)だけで考えることに頼ってはいけない、
  6. 理屈や理論に合っているからといってそれに頼ってはいけない、
  7. 人間がもともと持っている見解等に合っているからというような考察に頼ってはいけない、
  8. 自分の見方に(けん)に合っているからというようなことだけで納得してはいけない、
  9. 説くものが立派な姿かたちをしているからといって頼ってはいけない、
  10. 説いた沙門が貴い師であるというような肩書などに誤魔化されてはいけない、

カーラーマ族の人々よ、もしあなたがたが、これは不善である、これはとがを持っている、これは智者によって非難されている、これらの行為は不利益と苦を招くものであると、自分自身で知るならば、あなたがたはそれらのことを捨て去るべきである。』

 

 

カーラーマのお話のおかげで「日本の伝統」にちょっと興味を持ちました。

いやあ、私自身、これで日本の伝統や文化を否定するとか、そういう意図はありません、楽しめるものは楽しんだらどうでしょうか。

 

でも『日本の伝統の正体』のあとがきで筆者は。

引用

続けるため、時々の風潮に合わせ、けっこう柔軟に(あるいは無節操に)変化している伝統もあります。しかし人は、自分がいま見ている「伝統」は開始当時から不変のまま続いてきた・・・と思いがちです。

また「伝統」という看板を掲げているけど、その実態は「権威、権威の維持と保護」にすぎないケースもあります・・・。

中略

一般に、人は自分の頭で考えることをやめると、世間と関わるとき、まるで素っ裸で往来に出るようで心細い。そんな時、「権威」「「ブランド」「伝統」に頼ります、そういったものにすがれば、いちおう安心できます。

だから「これが日本の伝統です」と声高に乗っかるのは、楽チンなのです。けれど、少しだけ「本当にそうなのか?」と自分の頭で考えてみるだけで、見えてくる風景はずいぶん変わってきます。

疑問を持ち、自分の頭で考えてみる。少しメンドウクサイけど、少し楽しい。

 

 

カーラーマのお話は、私に調べる楽しみを教えてくれます。

 

で、自我の話に戻します

『無我の見方』より引用

私たちはなぜ、自分探しやアイデンティティといったものを必要とするのでしょうか。

それは私たちが集団行動をしてきたからです。

集団行動が悪いのかといえば一概に悪いとはいえません。集団行動をしていると、まわりがやっているようにやればいいから、悩む必要はありません。

そういうわけで、集団行動は気楽です。責任も問われません。だからこそうまくいく場合があります。

実際、日本では、皆で一つの組織に固まり、自分を出さないでコミュニティーに合わせて生活することが美徳であると考えられてきました。皆がやることを皆と同じようにやればいいという、コミュニティ心理です。

 

うむ、私見ですけど

伝統、文化って、コミュニティ心理で維持されてますね。

 

で、「自我がある」というのも長年の伝統、文化みたいなものです。

 

でも、「初詣」や「六曜」と違って、「自我」は、個人個人にあるかなり強固な伝統文化ですから、これを調べて破るのはかなり困難な作業のような気がします。

元々幻覚なのに、かなり振り回されています、困ったものです。

 

破るのは難しいかもしれませんけど、調べることはできそうです。

で、少しでも楽しんで調べることができれば、かなりの儲けものです。

まあ、楽しく進める、ということで・・・。

 

 

 

 

 

この本、面白いです。

我々の身の回りは、けっこう怪しい伝統に囲まれてます。

 

「日本の伝統」の正体(新潮文庫)

「日本の伝統」の正体(新潮文庫)

  • 作者:藤井青銅
  • 発売日: 2020/12/23
  • メディア: Kindle版