引用
「自分の意見は正しいかもしれません。間違っているかもしれません」という態度をとってみましょう。
中略
他の人が言ったことを鵜呑みにせず、自分の意見も鵜呑みにせず、それぞれの意見を突き合わせて理性で考えます。
ふと浮かんだ自分の意見さえも「いろいろなものの見方の一つだ」と考えて、他人の意見と照合し、固執しないように気をつけましょう。
私見です。
また脱線です。
いまだに無我はわかりませんし。
自我の自覚はバリバリありますし。
とりあえず
自我=自分の意見
というところから、無我の練習をしましょう、というところでしょうか。
自分の考え、自分の意見、といったところでけっこう危ういものかもしれません。
貪瞋痴由来の考えだったら有無を言わさずアウトですし。
やっぱりカーラーマのお話になりますね。
再び引用
あなたがたはある説かれたものを真理として受け取るときに、
- 人々の耳に伝えられるもの、例えば秘伝や呪文、神の啓示などに頼ってはいけない、
- 世代から世代へと伝え承けたからといって頼ってはいけない、
- 古くからの言い伝え、伝説、風説などに頼ってはいけない、
- 自分たちの聖書や教典に書いてあるからといって頼ってはいけない、
- 経験によらず頭のなかの理性(思弁)だけで考えることに頼ってはいけない、
- 理屈や理論に合っているからといってそれに頼ってはいけない、
- 人間がもともと持っている見解等に合っているからというような考察に頼ってはいけない、
- 自分の見方に(見)に合っているからというようなことだけで納得してはいけない、
- 説くものが立派な姿かたちをしているからといって頼ってはいけない、
- 説いた沙門が貴い師であるというような肩書などに誤魔化されてはいけない、
うむ、読めば読むほど真理への道はかなり狭いです。
でも、共通しているのは、これをやることで不善を招くものであるならば・・・。
引用
カーラーマ族の人々よ、もしあなたがたが、これは不善である、これは咎を持っている、これは智者によって非難されている、これらの行為は不利益と苦を招くものであると、自分自身で知るならば、あなたがたはそれらのことを捨て去るべきである。
結果が悪いものだと自分自身で知るならば捨て去るべきである、ということです。
しかし、日常生活では、「真理の道の追求」というよりは、「最善の方法」を見出すことが大事かもしれません。
カーラーマの話は「最善の方法」を見出すためにも良い参考になると思います。
例えば
古くからの言い伝えだからといって頼ってはいけないし
理屈や理論に合っているから、といって頼ってはいけないし。
自分の見方に合っているということで納得してはいけないし。
で、そうやってるうちに周りの状況は刻刻と変化していくし。
そのつど、そのつど、その時点で、善い、ということしなければならない、ということですね。
私の場合は、善い、までたどり着けないので、そのつど、そのつど、その時点で、悪いことはしない、ということでしょうか。
無意識で、いつの間にか悪いことをしているって、しょっちゅうですから・・・。
「悪いことはしないぞ、という気持ちで、自分の意見にはしがみつかないぞ」、は時には失敗するかもしれませんが、できることもあるかもしれません。
けっこう難しいところを突いてくる本です。