引用
皆、何かしら、「自分は何者か?」と探し求めています。自分は何か偉い人物・尊い存在であると、そう思っているのです。いわゆるアイデンティティ(自己同一性、変わらない自分)を強化したくて、安定させたくて必死なのです。皆、愚かで無智なのです。無智の結果は当然、自業自得なので、人生の道のりは何一つうまくいかなくなっています。
後略
私見です。
うむ、「変わらない自分」があると思うのかなあ。
思うのは自由だけど、その間に、世の中はどんどん変化していくので、本当はそれについていくだけで精一杯で、へたすると自分のことに悩んでいる暇なんてないのかもしれないのに・・・。
暇だと錯覚するから、自分探しするんでしょうね。
ましてや自分探しで他と「争い」なんて・・・・。
今日の副読本
おおー、衣の色みたいな本ですね。
色にひかれて買ってしまいました。
52ページより引用
「自分探し」は百害あって一利なし
最近まで、日本の社会もよかれと思って「アイデンティティの確立が大事です」とか、「自分探し」をしましょうなどとアナウンスしてました。若者に「自分の決めた生き方で生きてみなさい」と言った結果、仕事もできず、いまさら職を探しても見つからない若者が増えてしまいました。
仕事がないということは能力がないということでしょう。変な自分探しはしないで、存在もしない自分を探しに行かないで、能力を向上させて「社会のために貢献することが生きることだ」と思ったならば、いろいろな能力が出てくるはずです。
能力がどんどん花咲いてくると、もう仕事があります。社会が変わっても経済状況が変わっても、新しい仕事が現れてくるので、全然心配することはありません、それなのに、自分のアイデンティティという変なものを探しているのですから、これは時間のロス以外の何物でもありません。
暇の錯覚は、ずばり時間のロスですね。
うむ、やっぱり世の中はガンガン無常で、たぶんすごい早さで流れています、それに対応しなければならないのですね。
続けて引用
もし自分探しで迷っているなら、各個人が「自分には何ができるのか?」と考えてみてはいかがでしょうか。自分がどのように成長すればよいのか、どんな能力を身につければよいのか、どんな能力を身につければよいのかと、考えてみるのです。
相変わらず「無我」はわかりませんが、これは理解できますし、できそうです。
続けて引用
自我を探すのはやめましょう、危険極まりのない探求です。
「自分のアイデンティティは何なのか」と悩むのではなく、自分の個性を認めてそれを育ててください。他の生命の役に立たない人間になったら、社会では自分の生きる場が無くなってしまうのだと理解しましょう。
私の場合は、若い頃はそれなりの役割があったし、世の中にもマッチしていたかもしれませんが、齢をとると能力も下がります、それなりに位置とか収入も変わります、でもそれは一つの状態なのでどうのこうのは無いです。
重ねて無我はわかりませんけど、「さてと、今の世の中のありようはどうなのかな?自分にできそうなことはあるかな?」と、世の中と自分の能力をマッチングさせることはできそうな気がします。
うむ、もしかして仏教は実利的な教えなのかも・・・・・・。
実利的な本です。