oldmanbuddhist

テーラワーダ仏教を地味に勉強してます、そのメモ書きになります、きちんと学びたい方には参考にならないです、ご了承願います。

46 社会的な地位や名誉は「買い袋」にすぎない 『一瞬で心を磨くブッダの教え』

引用

前略

それが社会的な地位であろうが、名誉であろうが、どうでもいい話でね。あるいは「覚りを目指すことと社会的な成功は別なんじゃないか」とか、そういう世間が思っていることは、「買い物に行ったら、どんな袋に入れてくれるのか」を心配するような無駄な心配です。

私の最終的な答えは「買い物袋に困るなよ。あなたの人生は、ホームレスという買い物袋に入れられても大丈夫だ」というものです。

後略

 

上記の文章は下記の対談本からの参照になります。

 

 

 

 

上記の本の気になる部分の引用です。

 

スマナサーラ

私たちの仕事は、やる気をできる範囲で引き起こしてあげる。だからといってすべての生命がやる気を出すのは、絶対にあり得ない話なんですね。とにかく、「あなたは精神的に安定した人間になりなさい」それだけなのです。言い方として病気が治りますよ、社会で成功しますよ、などと言う場合もありますけど、本質的に社会で成功しようが豊かになろうが、権力があろうが、どうでもいいことです。

 

 

テキストの

「覚りを目指すことと社会的な成功は別なんじゃないか」は、どういう意味でしょうか?

 

 

すみませんが、また私見説明です。

 

買い物袋とは、なんていうか、これ「かぶり物」ですね。

 

「かぶり物」の話が下記にあります。

dananet.jp


気になる部分を引用

わたしたちは法衣を着なくても、「立派なかぶりもの」をつけようとします。いろいろなかぶりものを身につけます。会社や組織の名前、肩書き、学歴というかぶりものです。体の美しさや、才能や財産も含まれるでしょう。それは、ありのままの自分を隠そうとしたり、立派だと認めてほしいから着るのです。

 

買い物袋やかぶり物はたぶん同じ意味ですね。

これらは俗世間の「我々が気にしているいろいろ」を指すのだと思います。

 

だから

「覚りを目指すことと社会的な成功は別なんじゃないか」も、気にしてることのひとつですから、これもかぶり物ですね。

 

で、仏教は基本的にかぶり物、買い物袋については、まったく興味がありません。

どうでもいい という立場ですね。

 

 

 

で、2年ほど前、かぶり物について書いてました。

 

www.jataka.info

 

かぶり物、買い物袋についての、かなり根本的な話です。

 

かぶり物、買い物袋の話はできますけど、その中身の自己紹介ができないのですよ。

 

ちょっとショックです。でも、これが私です・・・。

 

 

仏教はかぶり物、買い物袋から自由になるための教えですね。

詳しくは、上記の本やリンクをお読みください。

 

 

 

本日はかぶり物の話に逸れてしまいました。

 

一瞬で心を磨くブッダの教え

一瞬で心を磨くブッダの教え