ジャータカのよもやま話

テーラワーダの在家仏教徒 身の回りのことを地味に書いてます。

53 「美」という偏見 『一瞬で心を磨くブッダの教え』 

引用

「美」というのは偏見です。「これこれこういう条件がそろったら美です」ということは成り立たないのです。

後略

 

脱線する私見です。

 

「私は知っている」の「知っている」ことのほとんどは主観ですね。

 

関連リンク

j-theravada.net

 

上記で、先生は「餌にひっかかる魚」を例に出しています。

引用

なぜ私たちは「餌」に釣られるのでしょうか? なぜ誘惑されるのでしょうか? それは、心が弱いからです。魚は、目の前にミミズが泳いでいると、本能的にさっと飛び付いて、餌をパクリと食べます。でももし餌を見たとき、ほんの一瞬でも「目の前にミミズがいるなんておかしい、なんか変だ、罠ではないか」と冷静に観察することができれば、いきなり餌に飛び付いたりはしないでしょう。飛び付かなければ釣られずにすみますし、命を守ることもできるのです。

 

私の年齢だったら、飛びつく情報は「健康関連」ですね。

「高血圧にいい」とか、「コレステロールを下げる」なんてあったらすぐに飛びついてしまいそうです、それで商品を買ってしまいそうです。

 

ただ、幸いなことに家内が医療関係者なので、

 

「そんなことグダグダ考えるんだったら医者に行け」。です。

 

 

私の場合、主観で自分の健康状態を観ると、ヤバそうなので・・・。

 

お医者さんが、私の健康状態を客観的に診断してくれたほうがいいです。

下手な健康食品やサプリよりはるかに安いし・・・。

 

 

まあ、我々が認識していることで「これこれこういう条件がそろったらこれです」というものはありませんね、なにかしら偏ってますから・・。

 

で、上記リンクでは、餌にひっかからない方法が出ています。

引用

パーリ語に、ヨーニソーマナシカーラ(yonisomanasikāra, 如理にょり作意さい)という言葉があります。これは大変重要な言葉ですので覚えておくと役に立つでしょう。ヨーニソー(yoniso)は「因果法則に則って、論理的に」という意味、マナシカーラ(manasikāra)は「観察する」という意味です。そこでヨーニソー マナシカーラは「因果法則に則って観察する」という意味になります。ヨーニソーマナシカーラが無いとき(論理的に物事を観察しないとき)、私たちは色・声・香・味・触・法のいずれかに引っ掛かって苦しみます。一方、ヨーニソーマナシカーラがあるときには、心は冷静沈着ですから、安易に引っ掛かることはありません。何にも囚われず、自由に生きていられるのです。したがって私たちが愚かな原因、混乱して苦しんでいる原因はただ一つ、ヨーニソーマナシカーラが無いということです。それだけなのです。お釈迦さまは「ヨーニソーマナシカーラがあれば、すべての問題は解決する」と教えられました。物事を客観的に論理的に観察することができれば、すべてうまくいくのです。

 

「因果法則に則って観察する」が大事なキーワードになりそうです。

 

 

 

かといって

なんらかんらで宣伝広告にひっかかる人生はこれからも続きそうですけど、でも上記を知っていれば、大きく道を外れることはなかいかな・・。と思ってます。

 

 

自分の周囲は餌だらけですよ、と教えてくれる本です。

 

一瞬で心を磨くブッダの教え

一瞬で心を磨くブッダの教え