ジャータカのよもやま話

テーラワーダの在家仏教徒 身の回りのことを地味に書いてます。

55 「自分は駄目な人」というエゴを捨てる 『一瞬で心を磨くブッダの教え』

引用

「私には能力がない」と思うのもエゴです。「この人には能力があるが、私にはそんな能力がないから悔しい」と思うから相手をねたむ気持ちが出てくるのです。

中略

何事においても、各人が能力に応じた仕事をすればいいだけの話です。「私が」「私が」というエゴを捨てれば、何の問題もないのです。

 

 

私見です

 

次は卑下慢ですね。

 

変わらない自分がいる、という錯覚はなかなか消えません。

その錯覚で、比較するということを行うことで、卑下慢、高慢、同等慢が働き、その結果、いろんな感情が生まれます。

 

この場合、卑下慢から来る「妬み」の気持ちでしょうか。

 

 

以前、書いたことを調べると、慈悲の瞑想のフルバージョンにも卑下慢が出てました、引用します。

www.jataka.info

 

この部分ですね。

☸エゴの錯覚

 

・「私は他より優れている」と感じることは高慢です。

・「私は他と同等だ」と思うことは同等慢です。

・「私は他より卑しい存在である」と思うことは卑下慢です。

・慢とは、私のエゴの錯覚から起こるのです。

・私は、エゴの錯覚がこころに現れないように、と精進します。

・私は、慢により現れる対立・悩み・争いから離れるように、と精進します。

 

 

エゴの錯覚とは自我の錯覚だと思います。

 

お釈迦様があれほど「自我は無い」というのに、無いものを有ると錯覚して、ヤバい感情を生じたりしている。

 

うむ、自作自演ですな。

 

いちばんわかりにくい同等慢についてのメモがありました。

下記より

www.jataka.info

 

引用

同等慢はなぜ悪い

 

自我が良くないということです

瞬間瞬間、人格が変わるのに、誰と比較するんですかね?

 

比較して「同じだ」という同等慢を作る暇がないんです

 

卑下慢も高慢も成り立たないように、同等慢も相当な勘違いです。

変わらない自分がいるという錯覚から同等慢が生まれるんです

 

真理に背くことですから同等慢も悪いということです。

 

 

うむ、

 

「暇」だとロクなことしませんね。

 

変に暇だと、慢がつけ入るのかもしれない。

 

そんな比較してグダグダ考えるんだったら、いまやるべきこと、自分の能力に応じた仕事をしましょう。です。

 

 

 

 

慢はやっかいです。

 

一瞬で心を磨くブッダの教え

一瞬で心を磨くブッダの教え