引用
「私には能力がない」と思うのもエゴです。「この人には能力があるが、私にはそんな能力がないから悔しい」と思うから相手をねたむ気持ちが出てくるのです。
中略
何事においても、各人が能力に応じた仕事をすればいいだけの話です。「私が」「私が」というエゴを捨てれば、何の問題もないのです。
私見です
次は卑下慢ですね。
変わらない自分がいる、という錯覚はなかなか消えません。
その錯覚で、比較するということを行うことで、卑下慢、高慢、同等慢が働き、その結果、いろんな感情が生まれます。
この場合、卑下慢から来る「妬み」の気持ちでしょうか。
以前、書いたことを調べると、慈悲の瞑想のフルバージョンにも卑下慢が出てました、引用します。
この部分ですね。
☸エゴの錯覚
・「私は他より優れている」と感じることは高慢です。
・「私は他と同等だ」と思うことは同等慢です。
・「私は他より卑しい存在である」と思うことは卑下慢です。
・慢とは、私のエゴの錯覚から起こるのです。
・私は、エゴの錯覚がこころに現れないように、と精進します。
・私は、慢により現れる対立・悩み・争いから離れるように、と精進します。
エゴの錯覚とは自我の錯覚だと思います。
お釈迦様があれほど「自我は無い」というのに、無いものを有ると錯覚して、ヤバい感情を生じたりしている。
うむ、自作自演ですな。
いちばんわかりにくい同等慢についてのメモがありました。
下記より
引用
同等慢はなぜ悪い
自我が良くないということです
瞬間瞬間、人格が変わるのに、誰と比較するんですかね?
比較して「同じだ」という同等慢を作る暇がないんです
卑下慢も高慢も成り立たないように、同等慢も相当な勘違いです。
変わらない自分がいるという錯覚から同等慢が生まれるんです
真理に背くことですから同等慢も悪いということです。
うむ、
「暇」だとロクなことしませんね。
変に暇だと、慢がつけ入るのかもしれない。
そんな比較してグダグダ考えるんだったら、いまやるべきこと、自分の能力に応じた仕事をしましょう。です。
慢はやっかいです。