引用
個人とは、大海の一滴だとしましょう。この一滴の水が、自分は他の水と違った個人であると主観をつくっているのです。
後略
私見です
これは何かの経典にあるのかもしれませんが、知識が無くわかりません。
これについて詳しく書いてある本が下記になります。
キンドル本になります。
キンドル本へ便利で、キーワードで検索できます。
「大海」で検索をすると1か所出てきます。
読んでいただけると嬉しいです。
大海の中にいるとして、自我があるというと
例えば
「私は塩水ではなく真水だ!」と言ったところで、なんていうか意味がないです。
「真水だ!」言い張ることが自我になるでしょうか?
本当は塩水なのに真水だと言い張っても、無理がありますね。
自我があっても何もできない、ということですね。
上記の本より引用
なにもできないのだから「私が偉い」というよりは「無数の、無制限の生命の中でたった一つの生命です」という、お釈迦様のおっしゃることを思うべきではないでしょうか。
ゴチャゴチャ自己主張するくらいだったら生命をいつくしんでみたら・・。
ということでしょうか?
個人的には、自分が大海の一滴なんて、寂しすぎるなあ、なんて思うのですけど・・・。
それに対する答えが
上記の本より引用
ただ単に「自分は海の一滴の海水だ」と思うだけでは、楽にいられるかもしれませんが、巨大な海の中で、いてもいなくても、さっぱりわからない存在ということになって面白くありませんね。ですからやはり、「生きるということは、なんなのか」と考えるべきです。
自我の項は本日でおしまい。
「生きるということは、なんなのか」という宿題が出ました。