引用
生きることは根本的に、苦です。
後略
生きるとは死に向かってまっしぐらに走ることです。必死で頑張っているのは当たり前ですが、生きるとはなんだか虚しいことなのです。
後略
私見です。
苦であることを念じる前に、私も以前勘違いしてたのですけど・・。
生きていて、苦であるときもあるし、楽しいこと、嬉しいこともあるではないか、人生、全部が全部、苦ではないのではないか? と。
苦も感じることがあるし、楽だと思うときもある。
人生、苦あれば楽あり、と思っていたのですね。
うむ、違っていたのですよ。
慈悲の瞑想フルバージョンの一節にも出てきます。
引用
・世界は一切の現象は苦であると気づかないので苦しんでいることを観察して、一切の現象は苦であると認めて生きるように精進します。
生きることは、例外なく「苦」なんですよね。
この認識がないまま、苦を誤解したまま、苦を念じても効果がないような気がします。
下記、苦についてもっと突っ込んだ法話があります。
ちょっと引用
「du」と「kha」―― たいしたことがない
私たちは非論理的で、ものごとにたいして余計な価値を入れているため、たいへん苦しんでいます。しかし真理の立場から見ますと、この「苦しい」ということも余計なことなのです。私たちの苦しみ ―― 欲しいものが得られないこと、親しい人と別れること、嫌な人に会うこと、病気になること、老いること、死ぬことなどは自然の現象であり、本来たいした苦しみではありません。でも、なぜそうしたものが苦しみになるのかといいますと、それは私たちが「自分」というものに強烈に執着しているからです。執着しているために苦しみが増大し、空気のように気楽に動くことができなくなっているのです。
苦はdukkhaですけど、もともとの意味は「たいしたことない、無価値」という意味だったのですね。
苦の原因は、もともと価値のないものに、勝手に価値や執着を入れて勝手に苦しんでいるのですね。
これも自作自演です。
ですから、楽しい、とか、嬉しい、と思っているものも、結局はそこに主観的な価値や執着を入れているので、苦になってしまうのでしょうね。
でも、現在はそこに塗れている生活ですね・・・。
苦を消すことができるのでしょうか?
本日から、苦の項が始まりました。
ちょっと楽しみです。