引用
「ご出産おめでとうございます」と言う場合、幸福を感じているのは誰でしょうか?大人が勝手に喜んでいるだけではないでしょうか?生まれた本人にとっては、出産そのものが耐え切れないほどの苦です。生まれるときに赤ちゃんは、生きるか死ぬか、という危険に遭遇しています。「おめでとう」と言われるようなことではなく、実際は「何とか命拾いしただけのこと」です。成長することも苦の連続です。赤ちゃんの状況を無視して大人が喜んでいるとしても、「生は苦」です。
仕事柄、医療機関に商品を納入しています。
最近は、コロナ関連で病棟への訪問は規制されていますけど、以前は、産科だったら新生児室に赤ちゃんが並んでる姿を見ることができました。
仏教を学ぶ前は、赤ちゃんを見て「かわいいなあ」と思ったのですけど。
仏教を知ってからは、「シャバに出てきてしまいましたね、ご苦労さま、これからが大変ですよ」と心の中で語りかけてしまいます。
でも赤ちゃんは、人を呼びます、おじいちゃん、おばあちゃん、兄弟、お友達とか、お見舞いに来る方がいて、赤ちゃんとお母さんの周りはにぎやかです。
でも、赤ちゃんは、今が大変ですし、これからも大変です。
で、老人が多い病院に行くこともあります。
意識レベルが低い寝たきり状態で、病棟には心音モニターの音しかしません。
お見舞いに来る人も見ることがないです。
でも、たぶん「苦」の状態なんでしょう、自分の体が思い通りにならない、病気を伴っていたらなおさら苦しい、そもそも、老いること自体「苦」ですし。
生まれてきたばかりの赤ちゃんも苦、老人も苦、赤ちゃんから老人に至る過程も苦。
うむ、本日は「生は苦」というオチしかないですね。
「苦」のお話はまだまだ続きます。