oldmanbuddhist

テーラワーダ仏教を地味に勉強してます、そのメモ書きになります、きちんと学びたい方には参考にならないです、ご了承願います。

62 肉体には痛みしか生まれない 『一瞬で心を磨くブッダの教え』

引用

肉体の中には、痛みしか生まれません。「人生は楽だ、楽しい」とみんな思っていますが、細胞は、正確にいえば、痛みしか感じないのです。痛みが多いか少ないかというだけのことです。

中略

結局、感じるのは痛みだけです。痛みの感じを一生懸命変化させながら生きているのです。ある痛みを感じて、それが強力になってくると、違う痛みに変化させる、また変化させる、という具合に、痛みから痛みへと頑張るだけです。それでも「人生は幸福だ、楽はいっぱいある」と誤解するのです。

 

上記は下記の本からの引用になります。

290~291ページにあります。

 

 

 

上記で先生は

 

「身体のどこにでも心は生まれる」

「全ての細胞に、心が活動する」

と説きます。

 

で、感じる感覚は「痛み」です。

 

で、医学でも「痛み」は大事にする、とのことです。

 

 

私見です

「痛み」がないと、病気を見過ごしてしまうかもしれません、生命に「痛み」は大事なんでしょうね。

 

で、私を含めて、周りを見ると、加齢とともに、身体の痛みって増えていくような感じがします。

 

神経痛とか、筋肉痛とか、腰痛、関節痛、とか・・。

 

で、痛みがあるので、病院に行ったりなんかします。

 

87歳の私の義母は、関節痛がひどいので、病院の整形外科を受診しましたが、先生はそっけなく「齢だから仕方ないよ」とおっしゃったとのことです。

 

まあ、義母は病院を変えましたが・・・。

 

 

 

私自身も身体に関しては「齢だから仕方ないよ」ということが死ぬまで続きそうですけど、痛みに振り回されることなく・・。

 

せっかく仏教を学んだのですから、「痛み」は、観察できるチャンスが巡ってきた、ということで、いい機会にしたいです。

 

下記参考リンク

j-theravada.net

 

引用

ヴィパッサナー瞑想をつづけているとそうした心の中身が次々と出てきて驚かせますが、決してそれについてショックを受けたり、ご自分を責めることはないのです。あなたのなすべきことはそうした現象に対して、平然と客観的にそれらを確認し、ただ観ていくことです。そうした現象に対して善し悪しの判断は一切しないことです。何か見えてきても、ラベル(言葉)を貼っていくことだけが重要なことです。ヴィパッサナーとは、自分の心をありのままに観る瞑想法です。至極単純なことで、寒ければ「寒い、寒い」とラベルを貼り、痛ければ「痛み、痛み」とラベルを貼る、ただそれだけのことです。

ふだん私たちは無意識に行動することが多いものです。歩いているときには、「歩いている」と確認して歩く人はいないと思います。歩きながら、今晩何を食べようかと考えたり、昨日喧嘩した彼女のことを思ったり、あるいはこれから会いに行く人のことを考えたりして歩いています。一つの行動をしながらその行動とは違うことを考えているのです。私たちはありのままの自分を観るということに慣れていません。「歩いた」という自分はどこかに押しやって、心は「事実」とはかけ離れた物事に執着して勝手な“行動”を起こしています。心は気儘です。その心の気儘さが実は人間に苦しみを作りだしている根幹なのです。

 

 

 

うむ、日常生活はいつも気儘に流されています。

「痛み」は何かのチャンスかもしれません。

できるでしょうか?