引用
だいたいの人は、三十、四十、五十歳ぐらいで「年は取りたくない」などと思い始めます。しかし、本当は生まれた瞬間からずっと老いてきたのです。いまさら「年はとりたくない」と思っても、「老いないでくれという、この期待は叶いませんよ」とお釈迦様は言います。さらに、「叶わない期待を持つことが、すごい苦しみなのです。年をとることや老いること自体は、本当は『苦しみ』ではありません。『老いないように』との期待こそが苦しみなのです」」と説かれるのです。
私見です。
生老病死は、なんていうか、生命の現象なので、生命の現象にすぎないので、これのどこが「苦しみ」なの?
うむ、「若さ」は、ずーっと持ち続けることはできませんよ。
副読本より引用
引用
苦をつくる「私のもの」という無智
「私の」という言葉が、我々に苦しみをつくるのです。「私」とはなんですか?たくさんの細胞がそれぞれ「生老病死」をしているだけで、細胞一個一個は「私」ではありません。瞬間、瞬間、壊れていく細胞が集まっている「私」は、現象の流れにすぎません。何か固定的な「私がいる」ということは成り立ちません。まして「私のものがある」と思うことは、極まりなく無智の証拠です。
うむ、結局は自分、自分、で自分中毒で、自分がかわいいんですよ。
まだ、健康サプリ巡りをしているぐらいだったら、かわいいのですけど・・。
自分中毒が行き過ぎるとバカなことも起こります。
例えば、医療従事者への偏見とか
https://www.mhlw.go.jp/content/000622822.pdf
「自分さえ良ければいい、それ以外は迷惑だ」なのでしょう。
「私は無知でおバカさんです」、と自称しているようなものです。
本当ならば、理性と慈しみで見れば、医療従事者の方に対しては「ごくろうさまです、何かできることはありませんか?」です。
もう感染経路がわからないので、もう誰がなってもおかしくないです、コロナウイルスは人を媒介として増えようとしているだけなので、これはただの生物的な現象にすぎないです。本当は「苦」はないのですね。
で、やるべきことは、公衆衛生のルールを守り、理性と慈しみが大事だと思います。
我々はひどい自分中毒状態だし、なかなか身体の心配から逃れられない、ということを教えてくれる本です。