ジャータカのよもやま話

テーラワーダの在家仏教徒 身の回りのことを地味に書いてます。

71 自利か利他かという二者択一ではない 『一瞬で心を磨くブッダの教え』

引用

よく質問されます。「大乗仏教では自分のことを置いて、人々を救うために修行すると言ってますが、それをどう思いますか?」と。

私の答えは「そんな、自分のことを置いておいて人を救うなんてことは、ちょっと成り立たないんだ」と。

具体的に言えばこういうことです。自分が地獄に落ちるような生き方をしているのに、他人のことは天国に道案内してあげられるのか、という話です。

後略

 

私見です

 

うむ、ずーっと大乗仏教に接してきた人からの質問だったのでしょうか?

 

大乗仏教文化に接していると、自利と利他を分けて考えてしまうのかもしれません、それで「小乗」という言葉も生まれてきたのでしょう。

 

仏教の言葉として小乗は不適切な言葉だと思うのですけど、よく見受けられます 。

 

まあ、考えるのは自由ですが・・・。

 

 

で、副読本です。

 

 

 

上記の本で、先生は、自利・利他は分かれない、と説きます。

 

自利と利他、というと道徳な定義が絡んでいるとのことです。

 

自分たちの行為が道徳的に正しいか否かを判断するポイントが述べられています。

 

引用

自分にとって、実行すれば、良い結果が出る。

 

他人にとって実行すれば、良い結果が出る。

 

自分と他人、両方にとって、実行すれば良い結果が出る。

 

 

 

 

引用続き

そこでお釈迦様が認められる「善いこと」とは、自分のためにも、他人のためにも、どちらにも役に立つことなのです。他のケースは厳密には善行為になりません。

後略

 

ここからは、大乗でよく言われる利他行為は道徳行為にならない、という説明が続きます、詳しくは本書をお読みください。

 

 

目指すは3番目ですね、1番目と2番目はそのためのステップみたいな感じです。

 

 

 

 

 

自利・利他という区別が仏教の理解を妨げている、ということがわかる本です。