ジャータカのよもやま話

テーラワーダの在家仏教徒 身の回りのことを地味に書いてます。

73 自力・他力の思考を捨てたところに道がある 『一瞬で心を磨くブッダの教え』

引用

自力・他力というのは差別的な思考で偏見です。自力というのは自分だけでぜんぶやるという意味ですが、できるわけないでしょう?無智で煩悩のどん底にいても右も左もわからない人が、どうやって自分で道を開くのでしょうか?他力といっても、我々には他人をどうすることもできないでしょう?「私が、私が」という自力思考では何も得られません。

どちらも邪見なので、救われません。自力・他力という思考を捨てたところに、道があるのです。

 

どちらも邪見ということでバッサリです。

 

私見です

 

テーラワーダで検索しても 「自力・他力」という言葉は出てこないです、日本独自の言葉っぽいです。

 

 

仏教の実践は自分でやるものですけど、指導者や法友あっての実践です、一人ではできないです、だから自力という言葉は成り立たないのかも・・。

 

 

で、他力というと、大乗の他力本願という言葉が思い浮かびます。

 

下記参照

ja.wikipedia.org

 

引用

浄土教(じょうどきょう)とは、阿弥陀仏極楽浄土往生成仏することを説く教え。浄土門浄土思想ともいう[1]阿弥陀仏の本願に基づいて、観仏念仏によってその浄土往生しようと願う教え[2]

 

阿弥陀様の力で極楽浄土に成仏する、という教えなのですね。

うむ、よくわからないです・・・。

 

 

 

 

 

自力、他力の言葉が出ている法話を見つけました。

j-theravada.net

 

引用

宗教は何でもかなう道ではなく、心を清らかにする道です。それも完全自力でも完全他力でも成り立つものではなく、正しく指導を受けて修行することで獲得するべきものです。

心が清らかにならない行は、修行とはいえません。

 

 

 

 

自力、他力なんかにかまってないで、心が清らかになる実践をしましょうよ。

ということだと思います。