引用
自力・他力というのは差別的な思考で偏見です。自力というのは自分だけでぜんぶやるという意味ですが、できるわけないでしょう?無智で煩悩のどん底にいても右も左もわからない人が、どうやって自分で道を開くのでしょうか?他力といっても、我々には他人をどうすることもできないでしょう?「私が、私が」という自力思考では何も得られません。
どちらも邪見なので、救われません。自力・他力という思考を捨てたところに、道があるのです。
どちらも邪見ということでバッサリです。
私見です
テーラワーダで検索しても 「自力・他力」という言葉は出てこないです、日本独自の言葉っぽいです。
仏教の実践は自分でやるものですけど、指導者や法友あっての実践です、一人ではできないです、だから自力という言葉は成り立たないのかも・・。
で、他力というと、大乗の他力本願という言葉が思い浮かびます。
下記参照
引用
浄土教(じょうどきょう)とは、阿弥陀仏の極楽浄土に往生し成仏することを説く教え。浄土門、浄土思想ともいう[1]。阿弥陀仏の本願に基づいて、観仏や念仏によってその浄土に往生しようと願う教え[2]。
阿弥陀様の力で極楽浄土に成仏する、という教えなのですね。
うむ、よくわからないです・・・。
自力、他力の言葉が出ている法話を見つけました。
引用
宗教は何でもかなう道ではなく、心を清らかにする道です。それも完全自力でも完全他力でも成り立つものではなく、正しく指導を受けて修行することで獲得するべきものです。
心が清らかにならない行は、修行とはいえません。
自力、他力なんかにかまってないで、心が清らかになる実践をしましょうよ。
ということだと思います。